▲最近、長年使っているバフマシンにわずかな偏芯が生じて軽い腱鞘炎になってしまったのだそうだ。チェロの弓を持つ手に痛みを感じたので作業日を少し先に延ばしてほしいとお願いしたら、笑って快諾してくれたのだとか。何度も磨いてもらっている常連さんとの話 ▲最近、長年使っているバフマシンにわずかな偏芯が生じて軽い腱鞘炎になってしまったのだそうだ。チェロの弓を持つ手に痛みを感じたので作業日を少し先に延ばしてほしいとお願いしたら、笑って快諾してくれたのだとか。何度も磨いてもらっている常連さんとの話

美しく輝く車のボディとは何か磨きとは、そこへ到達する道筋のこと

10年ほど前に習い始めたというチェロを弾いて聴かせてくれた。

フラットワウンド弦の滑らかで大きな振幅が手に取るようにわかる低い音の響きが、特に心地よかった。

この空間の天井から何本も伸びる空調用ダクトが、清水さんの性格を物語っている。

車の外装を磨く空間に浮遊するちりを許さない。

特にバフパッドと塗膜の間で役目を終えたコンパウンドの粉は、塗装を傷つける。

清水さんの手先で滑らかに回るバフマシンから離脱して浮遊した瞬間に、ダクトへ吸い込まれてゆく。

初めてこの空間に入ったとき、この人はやりすぎるタイプだと直感して、思わずニヤリとしたことを思い出す。

まさかこの空間で、清水さんが弾くチェロの音色に触れるとは夢にも思わなかった。

あの頃、清水さんはまだチェロを弾いていなかった。

けれど、天井から数本のダクトが伸びるこの空間のやりすぎ感が変わっていないことが、またわたしをニヤリとさせた。

「自分的には、やりすぎだという感覚はないんですけどね。言ってしまえば、塗膜を平滑にならすというだけの作業なんです、磨きの仕事は。

ところが実際にやってみると、実に奥が深い。

磨くという作業を施すことが目的ではなく、驚くほど美しいボディに仕上げるために何をすればいいのかという順序で発想することが大切だと思うんです。

そのためにやらなければならないことを揃えようとするとき、磨きに相応しい環境はごく自然に、しかもかなり最初の段階で整えるべきだと感じた。ただ、それだけのことです」


チェロを少し弾かせてもらった。

胴の抱え方はこうである、弓の持ち方はこうであるといった手ほどきの合間に、胴を支える脚の材質の違いによる響きの印象、なぜ今張っている弦を選んでのかというような話題が上る。

結果と理由を結びつける思考がごく自然にできる人だと感じた。

そして、門外漢にとって少々やりすぎと感じることも、本人にとっては当然の道理の上に並んでいるのだなと。

そんなことを考えていたら、胴を体から離さない! と指導が入った。

楽しい。

こういう感性の人と話しているのは、好きだ。

清水さんは、もともとエンジニアを志望して社会に出た。

内燃機の加工を行う工場で機械を操作し、レースに参戦するためのエンジンを設計・製作する会社で極限の性能を求める仕事を経験してきた。

磨きが清水さんの生業になると、誰も思っていなかった。

独立するぞと意気込んで勤めていた会社を辞めたときの本人でさえ、そんなつもりはみじんもなかった。

「何でもよかったと言うと嘘になりますが、会社の一員として毎日コンピューターのモニターに向かい合っていることに焦りを感じていたのかもしれません。

次の目標が明確にならないまま会社を辞めるのは愚かなことだと忠告してくれた方もいたんですが、ともかく会社を辞めてみようというところから始めたんです。

一人になって何ができるのかを探りたかったんです。若気の至りと言えばそれまでですが、いい経験になりました。自動車関係に限定せずに、いろいろなことに首を突っ込みました。そして、車を磨くという仕事に出合いました」


いわゆる自動車磨きのチェーン店の講習を受講し、フランチャイズの看板を挙げるには地域制限などの制約があることを知らされ、それならば自分の看板だけで勝負しようと決意した。

30歳の頃の話である。

手磨きから始めました。台数をこなすことではなく、自分の技術でどこまで美しく仕上がるかに挑戦することは、いま思うと最初からだったんですね。

考えて磨く。そういう姿勢を保つためには、仕事から離れて頭を整理する時間も必要なんだなって思うようになったんです」


無心でチェロを弾いてる時間が、清水さんの仕事に新しいひらめきをもたらす。

そう思うと、ダクトの下がるこの空間で聴くチェロの調べも、また感慨深い響きである。

text/山口宗久
photo/羽後 栄

※カーセンサーEDGE 2018年12月号(2018年10月26日発売)の記事をWEB用に再構成して掲載しています