20年たっても感触がボケない往年のメルセデスとポルシェは、自動車界のスティーリー・ダンか?
カテゴリー: クルマ
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2014/08/19
「本物」は、武道館のサイズにも歳月の経過にも負けない
過日、日本武道館でとある若手ロックバンドのコンサートを観た。ここ2年ほどで一気にメジャーになった彼らの曲と詩が好きで、いつもiphoneなどで聴いているのだが、彼らのライブを観るのは初めてのことであった。
あまり良くなかった。
いやもちろん曲と詩は相変わらず素晴らしかったが、彼らの演奏力は「武道館」というなかなか難物なハコに対しては十分でなかった、ということだ。
筆者は音楽や音響のプロフェッショナルではないので、もしかしたら細部は間違っているかもしれないが、とにかく日本武道館で「いい音」を鳴らすのは難しい。ハコの性質上、スピーカーから発した音が観客の耳に届く頃には、どうしても音の輪郭がボケて曖昧になってしまうのだ。ライブハウスや通常のホールではほとんど気にならないレベルの演奏の微妙なズレが、武道館では思いっきり拡大されて「かなりボケた音」になってしまうのだろう。
ただ、たいていのバンドは武道館ではボケボケになってしまうので、今回筆者が「あまり良くなかった」と感じた若手ロックバンドに非はない。「仕方がないこと」なのだ。
しかしごく希に、武道館でもじわじわボケボケにならないバンドがある。筆者が経験したなかでは米国の「スティーリー・ダン」がそうであった。ご存じの方も多いと思うがスティーリー・ダンとはドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの2人組ユニットで、録音や生演奏時のバックバンドは超一流のスタジオミュージシャンが務める。
で、都合3回ほど観たスティーリー・ダン in 日本武道館は、ほとんどCD並みあった。じわじわボケボケがお約束の武道館にいることを、自分は完全に忘れた。それぐらい完璧で、具体的には「リズムの芯」みたいなものがかなりしっかりしているのだろう。劣悪なハコに負けないだけの「芯」が、そこにあったのだ。
これと同様に車のボディや建て付けの感触も、たいていの場合、歳月の経過とともにじわじわボケボケになってしまうものだ。新車からの3年から5年間はかなりしっかりしているのだが、7年もたつとやや微妙になり、10年が経過すると確実に微妙になり、20年落ちともなれば完全にじわじわボケボケとなる。それが、マスプロダクトとしての自動車だ。まぁ通常は20年間も1台の車に乗ることを想定しないで作っているはずなので、これは仕方のないことである。たいていのロックバンドが日本武道館では微妙になってしまうのと同じで、仕方ないのだ。
しかしごく希に、まるでスティーリー・ダンのように(?)歳月という大敵を物ともせず、10年たっても20年たっても完璧というか、シャンとし続けている車がある。例えばそれは、1990年代前半に製造された「W124」というコードネームを持つメルセデス・ベンツのミディアムクラス/Eクラスや、ほぼ同時期の空冷ポルシェ911、あるいは往年のロールス・ロイス/ベントレーなどだ。これらはどれも(きちんと整備されている車であれば)仮に20年落ちであっても「ほんの数年前に初度登録された車」のような感触をドライバーに味わわせてくれる。
歳月の経過とともに必ずじわじわボケボケになってしまう通常の車と、これらの車とでは何が違うのか。コストか、設計上の思想か、あるいは具体的な何らかの素材か、あいにく筆者にはわからない。しかしとにかく、20年という、赤ん坊が成人になるだけの時間を経てなおピンシャンしているこれらの車に乗るたびに、その根底にあるのだろう何らかの「芯」、じわじわボケボケ方向へは決して拡散していかない芯の強さと正確さに、感嘆し、そして感動するのだ。
数年単位で新車を買い替えていくのも、もちろん悪いことではない。いや、悪いことではないどころかむしろステキだ。しかし、半永久的にと言っては大げさだが、それに近いニュアンスで「芯」を保ち続ける車を長く愛してみるのも、それはそれでステキなことであろう。ということで今回のわたくしからのオススメは、歳月に負けない芯を持つ往年のヨーロッパ車、具体的にはW124型メルセデスのW124型Eクラスと190クラス、ポルシェ911のタイプ964および993だ。