▲横浜といえばベイブリッジ! というイメージの方も多いと思いますが、実は「日本初」だらけの街なんです ▲横浜といえばベイブリッジ! というイメージの方も多いと思いますが、実は「日本初」だらけの街なんです

横浜市内で 「日本初」が目白押しなドライブができちゃう!?

今年で平成も27年目。アラサーに突入しだした平成生まれの若者たちに今、昭和の文化がウケているという。当時のファッションやグッズは彼らにとって「新しい」、「レトロでオシャレ」と映るのだとか。

「昭和の文化がオシャレなら、大正や明治……いっそ江戸時代までさかのぼれば、もっとレトロでオシャレなのでは?」と思いついちゃったワタシ。というわけで行ってまいりました、歴史とロマンがある「日本初の地」巡りドライブに。

今回、向かったのは街のあちこちに「○○発祥の地」の記念碑や跡地がある神奈川県横浜市。いずれも有名な観光地の近くにあるため、デートやお買いもの時でも立ち寄れますよ。

AM10:00 鉄道創業の地で時刻表を確認して驚く@JR桜木町駅前

横浜ランドマークタワーをはじめ、横浜のシンボルが建ち並ぶみなとみらいエリア。首都高速みなとみらい出口から5分ほど走るとJR桜木町駅が見えてきますが、この近くに車の永遠のライバル(?)である鉄道が開業した地であることを示す記念碑があります。

記念碑の説明には「1872年(明治5年)に横浜ステイションと品川ステイションの間で開通し、その営業を開始した」と書いてありました。裏側には開業当時の時刻表が掲載。当時は1日に4本のみの運転で、「乗客は遅くとも15分前にはホームで待つこと」という注意書きも。それにしても15分前って……。

▲鉄道創業の記念碑。現在の横浜ステイション……もとい、JR横浜駅周辺ではなく桜木町駅近くで開業したというのが興味深いですね ▲鉄道創業の記念碑。現在の横浜ステイション……もとい、JR横浜駅周辺ではなく桜木町駅近くで開業したというのが興味深いですね

AM10:30 日本初のガス灯の光を思う存分、凝視する@馬車道通り

次に向かったのは、オシャレなカフェやショップが並び観光客も多い馬車道通り。JR関内駅に向かってこの通りを歩いていくと、目を引くのがいかにもレトロな電灯……実はこれ、電気ではなくガスで明かりがともるガス灯。馬車道通りは日本で最初のガス灯が設置された通りなのです。

1872年(明治5年)年に設置されたガス灯が復元されていて、昼間なのに明かりがともっていました。その優しい光に心が洗われます~。

▲壁面のレリーフには明治末期の馬車道の様子が描かれています ▲壁面のレリーフには明治末期の馬車道の様子が描かれています

AM10:40 アイスクリーム発祥の地でアイスを食べる@馬車道通り

1869年(明治2年)6月、馬車道通りにあった氷水屋で販売された「あいすくりん」が日本最初のアイスクリームとして知られています。その記念像がこちら。母と子が抱き合う姿が特徴的ですね。せっかくなので近くのお店でアイスを買い、はしたないですがその場でeat! ウン、おいしいけど、冬場に外で食べるアイスは寒い!!

▲アイスクリーム発祥の記念像は前述のガス灯から歩いて2 ~3分の位置にあるので、馬車道に立ち寄った際はぜひ2つとも見てみてください ▲アイスクリーム発祥の記念像は前述のガス灯から歩いて2 ~3分の位置にあるので、馬車道に立ち寄った際はぜひ2つとも見てみてください

AM11:30 電話交換発祥の記念碑とスマホを並べてみる@大桟橋通り

その後は、馬車道通りから車で5分ほど走り、大桟橋通りへ。この通り沿いの駐車場に車を止めて、中区役所の方角へ2分ほど歩いたところにある植え込みには「電話交換創始之地」と記された碑が。

日本で電話交換(通話)業務が開始されたのは1890年(明治23年)12月16日。この場所にあった横浜電話交換局において、横浜と東京間および横浜市内で通話が行われました。当時の電話加入者は都内で155人、横浜市内ではおよそ3分の1の42人だったとか。

ここでは記念碑とスマホと並べて撮影。車の進化もさることがら、電話の進化もすごい! その進化の歴史に思いを馳せました。なお、近場にはプロ野球・横浜DeNAベイスターズの本拠地、横浜スタジアムがあります。野球観戦のついでに行ってみてはいかがでしょうか?

▲スマホと並べて撮影。もしも電話がなかったら、普段の仕事もおぼつかないんだろうな…… ▲電話交換発祥の記念碑。もしも電話がなかったら、普段の仕事もおぼつかないんだろうな……

PM0:25 西洋理髪発祥の地で今年、流行る髪型について考える@山下公園

続いて向かったのは、横浜観光のド定番スポットである山下公園。氷川丸や赤い靴はいてた女の子像などが有名ですが、知る人ぞ知るのがこのセンター分けな髪型の男性像。この彫刻「ザンギリ」は1869年(明治2年)に日本初の西洋理髪店が開業したことを記念したものなのだそう。
 
「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」というフレーズで知られるように、当時の男性たちはちょんまげを切り落とし、こぞってこの髪型にしていたのだとか。アッ、もしかしたら2015年、センター分けのザンギリ頭ブームが来るかもしれない!

▲西洋理髪発祥の記念碑と彫刻「ザンギリ」。男性像をよく見ると「ZANGIRI YOKOHAMA」の文字が ▲西洋理髪発祥の記念碑と彫刻「ザンギリ」。男性像をよく見ると「ZANGIRI YOKOHAMA」の文字が

PM1:00 テニス発祥の地でテニスプレーヤーたちを温かい目で見守る@山手公園

山下公園から車で10分ほど走ると到着するのが、横浜屈指の高級住宅街として知られる山手。横浜外国人墓地や港の見える丘公園は観光スポットとして有名ですが、このエリアにある山手公園がテニス発祥の地なのはご存じでしょうか?

山手公園に向かうと、入り口付近に「日本庭球発祥乃地」と記された記念碑があります。説明文を読むと山手公園ができてから8年後の1878年(明治10年)にレディースローンテニスアンドクロッケークラブ(現・横浜インターナショナルテニスクラブ)が、この地に5面のテニスコートを建設したとのこと。現在の山手公園内にもテニスコートが多く敷かれ、コート内はプレーヤーの多くが和気あいあいとテニスを楽しんでいました(ホッコリ)。

▲テニス発祥の地を表す記念碑。ちなみに山手公園は日本初の洋式公園としても知られています ▲テニス発祥の地を表す記念碑。ちなみに山手公園は日本初の洋式公園としても知られています

PM2:00 国産ビール産業発祥の地でビールを飲もうとし……こらえる@キリン公園

山手公園から車で3分ほどのところにあるのが、キリン公園。一見、どこにでもある普通の公園なのですが……ひとつ違うのが、とにかくデカい記念碑があること。これこそが、ワタシの大好きな国産ビール産業が生まれた地である証なのであります。

時は1870年(明治3年)。アメリカ人のウィリアム・コープランドがこの地にビールに適した湧水を見つけ、「スプリング・バレー・ブルワリー」という醸造所を設立したことにより、国産ビール産業が産声を上げました。その後、この醸造所は1885年(明治18年)に日本人経営の会社「ジャパン・ブルワリー」に引き継がれ、1888年(明治21年)にキリンビールが発売。1907年(明治40年)にジャパン・ブルワリーの事業を麒麟麦酒株式会社(現・キリン)が引き継いで、現在に至ります。

ここで一杯、と行きたいところですが、まだワタシは旅の途中。飲みたい気持ちをグッとこらえて「日本初の地」巡り、最後の地へ!

▲キリン公園内にそびえたつ記念碑。この後も車を運転するため、残念ながらビールはお預け…… ▲キリン公園内にそびえたつ記念碑。この後も車を運転するため、残念ながらビールはお預け……

PM2:30 近代競馬発祥の地で元競走馬たちと、戯れたかった……@根岸森林公園

最後は、キリン公園から車で10分ほどのところにある根岸森林公園。ここは日本の近代競馬発祥の地です。

江戸時代末期、鎖国が解かれた数年後の1866年(慶応2年)。娯楽施設を求めていた当時の外国人たちの要望に応えて建設がスタートし、翌1867年(慶応3年)に横浜競馬場が完成しました。横浜競馬場はその後、1888年(明治21年)に馬券が発売され、1905年(明治38年)にはエンペラーズカップ(現・天皇賞)が行われるなど栄えました。しかし、第2次世界大戦の激化により1942年(昭和17年)に休止。現在は観客席のスタンドの跡地が残されています。

残念ながら跡地周辺の撮影はNGなのでお見せできませんが、当時の名残のように公園内には芝生が敷き詰められ、お子さま連れの家族が遊ぶ姿が多く見られました。ちなみに公園内にあるポニーセンターは、毎月第3日曜日限定で乗馬も体験できますが、取材当日は対象外の日だったので乗馬はできず。む、無念……。

▲公園内には遊具も多く、お子さま連れにもうってつけ。また、公園内にはポニーセンターが隣接され、2009年の天皇賞(春)を制したマイネルキッツに会うことも! ▲公園内には遊具も多く、お子さま連れにもうってつけ。また、公園内にはポニーセンターが隣接され、2009年の天皇賞(春)を制したマイネルキッツに会うことも!
▲今回巡ったドライブMAPがこちら。全8か所ともクルマで5~10分ほどの距離の中にあるため、1日で全部回れちゃいます ▲今回巡ったドライブMAPがこちら。スポットからスポットへの移動時間は車で5~10分ほどなので、全8ヵ所を回っても1日で全部回れちゃいます
text&photo/福嶌弘(編集部)