増岡浩


車で我々に夢を提供してくれている様々なスペシャリストたち。連載「スペシャリストのTea Time」は、そんなスペシャリストたちの休憩中に、一緒にお茶をしながらお話を伺うゆるふわ企画。

今回は、パリ~ダカール・ラリーに参戦し、三菱のワークスドライバーも務めたラリードライバーの増岡浩さんとの“Tea Time”。
 

増岡浩

語り

増岡浩

1960年3月13日生まれ。1987年に初めてパリ~ダカール・ラリーに参戦して以来、2009年まで三菱のワークスドライバーとしてハンドルを握っていた。2002年、2003年とパジェロエボリューションで総合優勝を果たし、世界中にその名を広めた。2010年には同社商品戦略本部上級エキスパートとして採用され、三菱自動車の社員となった。現在は、商品開発にも携わり、若手テストドライバーの育成などに力を入れている。

愛車は1年半で4万㎞ 走行最近の楽しみは温泉巡り

最近、温泉にハマってるんです。埼玉の自宅から、栃木、群馬、長野、山梨……と、近場の温泉に車で出かけて、ひとっ風呂浴びて日帰りで。泉質にこだわり始めまして、やっぱりアルカリ性のお湯が最高です。肌触りがトロッとしていて、首や膝に持病を抱えているので、リハビリにもなります。

おかげで愛車のデリカD:5は新車から1年半で4万㎞も走りました。このペースだと車検のときには8万㎞……?

最近は、やはりコロナウイルスの影響もあります。車の仕事をするようになって30年余り、これまでは絶えず競技やイベントがあって、週末に休んだことはなかったですから。

最初は戸惑いましたが、せっかくならエンジョイしようと思って温泉巡りをね。家族と過ごす時間も増えたのは嬉しいですが、やはりイベントができないのは辛い。早く再開してお客さまと触れ合いたいですね。
 

パジェロに出会ったこととパリでの修業が人生の転機

免許を取って最初に買った車が三菱 ジープ。すぐにオフロード競技に出るようになって、以来車一筋の人生です。

人生の転機は2度あって、一つめは「パジェロ」に出会ったこと。初めて乗ったのは初代パジェロの試作車でしたが、それまで乗っていたジープとは「ぜんぜん違う!」と驚きました。

乗用車のような乗り心地だけど、野山を自由自在に走り回れる。当時、そんな車はありませんでしたから。プライベートでも初代から7台乗り継ぎ、レースを含めると数え切れません。

87年の初パリ~ダカール・ラリー出場もパジェロでした。2度めの転機は88年、28歳のときにフランス・パリに渡ったこと。郊外に住んでメカニック修業をしたんです。

当時の僕は“乗るだけ”の人だったので、メカトラブルに対応できなきゃパリ・ダカでは勝てない、と。

パジェロをバラバラの状態から組み上げるような仕事もして、おかげでギア一枚、ビス一本のことまでわかるようになりました。車って壊れる前に必ずSOSを出すんです。それをキャッチできるようになりました。

90年に自分たちで組んだパジェロでパリ・ダカに出場し、市販車改造クラス優勝、総合10位でゴールできた。

レースでは車に「もっといけ!」と100%以上の走りを求めちゃうんですが、そんなときでも「これ以上攻めたらヤバいぞ」と、いたわることができたのが大きかったですね。
 

三菱 パジェロ ▲2002年のパリ~ダカール・ラリーにて総合優勝を果たしたときの様子(写真:三菱自動車提供)

モータースポーツ復活を見届けることが「夢」です

今年還暦になった僕が、今も現役で車の仕事を続けているのは、パリ・ダカで培った技術やノウハウを若い人、今の開発チームに伝えたいから。

車を作り上げるのは結局“人”だから、開発ドライバーのスキルを上げていかなければいい車はできない。

三菱車の名前を世界に広めたのは、パリ・ダカやWRCなどのレース活動だと思います。だから「夢」は、いつか三菱のモータースポーツ復活を見届けること。その一歩として、市販車のエボリューションモデルを作りたいという目標もあります。

エクリプスクロスも、パワー上げて、車高落として、ワイドフェンダーにして……とやったらずいぶん変わると思う。決して簡単ではありませんが、本気で実現したいと思ってます。

ひたすら車を運転して、開発して、魅力を伝えて、“車どっぷり”の人生ですがまだまだ時間が足りない。今がまだ「人生半分」ぐらいであってほしいな!
 

増岡浩 ▲今年還暦を迎えたという増岡さん。三菱自動車の社員として、今後もワクワクする車を届けてくれるだろう
文/河西啓介、写真/尾形和美
※情報誌カーセンサー 2020年12月号(2020年10月20日発売)の記事「スペシャリストのTea Time」をWEB用に再構成して掲載しています