「理想の細マッチョ」になったフランス車が得たものと失ったもの
カテゴリー: クルマ
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2014/09/25
「ドイツ車っぽい」となるのは経営の必然だが
諸事情あってルノー ルーテシアの最新モデルを借用している。全体的にしなやかでありながら1.2L直噴ターボエンジンはひたすら力強く、デザイン的にも何やら有機的でありながら未来派で、大変素晴らしい。大満足である。しかし同時に思うのは、「これって目をつぶって運転したらドイツ車と区別がつかないよなぁ…」ということだ。もちろん実際は目をつぶって運転することなどできないし、ドイツ車とは細部がいろいろ異なることも理解できているつもりだが、ざっくり言ってしまうと「そっくり」なのだ。
「ドイツ車っぽい」という言葉をよく聞くし、自分でもたまに使うが、ドイツ車っぽいというのはそもそもどういうことか? いろいろな意見はあるだろうが、かいつまんで言ってしまえば「しっかりしている」ということだ。スイッチ一つの作動感から加減速時、回頭時のマナーに至るまで、とにかくすべてに「しっかりしてる」という感じが付きまとう車。それが「ドイツ車っぽい車」ということだ。
もちろんそれが悪いことであるはずはなく、車を「移動のための機械」として考えるならば、各部がしっかりしているに越したことはない。趣味の対象としても、どこかの部品が走行中あさっての方向にすっ飛んでいきそうな危うい車よりも、しっかりしている車の方が趣味の精神世界に没頭できる。また卑俗な話ではあるが、本日9月16日の東京地方は昼間、なかなかの残暑だった。そんな日に何のためらいもなくエアコンを全開にできるというのも、2014年式のルーテシアならではである。
国産車等にお乗りの方はこの感覚をあまりご理解いただけないかもしれないが、筆者が例えば27年前のルノー車に乗っていた時分は、エアコンをONにする=オーバーヒートとの戦いだったのだ。しかし現代フランス車のカーエアコンは戦いもクソもない。素晴らしいことである。非常に快適である。
快適ではあるのだが…同時に思ってしまうのだ。「これだったらドイツ車でもいいんじゃないか。ていうか“ドイツ車っぽい何か”よりも“ドイツ車であるドイツ車”の方が手っ取り早いのではないか」と。
通勤や買物などのため、A地点とB地点とを往復することを自動車購入の主たる目的とする場合は別だが、趣味の一つとして自動車というものをとらえる場合は、A地点とB地点とをただ往復するだけでなく「どう往復するか」という点が非常に重要となる。そこを重視しながら選ぶべき車は国産車でも輸入車でも何でも構わないのだが、輸入車を選ぶ場合は「お国柄」というのがかなり重要だ。フランスならフランス、ドイツならドイツという原産国のお国柄のようなものを、ドライバーとしては強く感じたいわけだ。せっかく「外車」に乗るんだから。わざわざ行ったトルコ料理屋でカツオと昆布で取った出汁を使われても困るのと同じことである。
その点80年代までのフランス車は、いや、ちょっとおまけして1995年ぐらいまでのフランス車は、「フランス車!」と呼ぶほかない何かであった。信頼性はお世辞にも高かったとは言いがたいが、ソフトなシートと独特の美意識に基づく(日本人の感覚からするとちょっと変な)デザイン、エンジンも足回りも全然大したことないのに、高速域では下手クソが運転する280psカーを軽くぶっちぎることもできる不思議な速さと直進性。それらが渾然一体となったフランス車の魅力は、多少の信頼性の甘さも、ドイツ車と比べるとちょっと頼りない華奢な感じも、そのすべてが許せるというかむしろお釣りが来るぐらい、独特な魅力にあふれていたのだ。
もちろん、以上はすべて世迷い言だ。地球規模で販売台数を競っている自動車メーカーがより良い製品、より高レベルな四輪自動車を作ろうとするのは当然であり、そうなるとがアウトプットがドイツっぽくなるのも経営の必然である。そこには懐古趣味が入り込む隙間など一切存在しない。
しかし我々は単なるユーザーというか「車バカ」であって、仏日混成となる巨大企業の数字責任を負っているわけでも何でもない。保安基準を満たし、そして人様に危害や迷惑をかけない範囲であれば、何に乗っても、何を好きになっても構わないのだ。
だからわたしは、2014年式ルノー ルーテシアの素晴らしさと便利っぷりを心の底から賞賛しつつ、ちょっと華奢で、もしかしたらエアコンの利きも少々弱いかもしれない1995年以前のフランス車を、カーセンサーnetで探したいと思う。このあたりの事情は人それぞれだが、少なくともわたしは「B地点」までの道のりを特に急いではいない。だから、これでいいのだ。
ということで今回のわたくしからのオススメは「1995年以前のフランス車」だ。