▲国産量産車で初めてガルウイングを採用したセラは当時、かなりのインパクトがあった ▲国産量産車で初めてガルウイングを採用したセラは当時、かなりのインパクトがあった

ファジィな時代に突入していった平成2年

新元号への改元を前に、平成という時代と当時の車を振り返っちゃう当企画。

第2回目は「平成2年」=1990年にジャンプしますっ!

バブル景気が弾けたのは前年の平成元年だったというけど、その時点ではまだ「バブル」って認識がなくて、おや、やべーんじゃねコレ? となったのが、ちょうど平成2年頃のこと。

年末に発表される流行語大賞で「バブル経済」が銀賞に選ばれました。

とはいえ、世間はまだ好景気の残り香に酔っていた……というのが実際のところ。

新宿にできたバカでっかい新都庁舎を見に行ったり、ティラミス食べられる所を探しに行ったりしてました。

「ファジィ」なんて言葉が家電の広告から流行し始めたのも、この頃です。

ちなみに一般的に使われた「ファジィ」は「あいまいな」とか「不明瞭な」って意味。

若い人は、おっさん上司から「君、ファジィだなあ」とか言われたら、あ、褒められてないゾってくらいに思っておいてください。

▲1990年に竣工された東京都庁の新庁舎。ちょっとした観光スポットになってた ▲1990年に竣工された東京都庁の新庁舎。ちょっとした観光スポットになってた

当時の私といえば、ピッチピチの18歳。

ところが高校時代に部活ばっかりしてたせいで大学受験に落ち、“予備校ブギ(1990年のドラマ)”することになった忘れられない年であります。

大学受かるまでは免許ダメって親に言われてたから、普段の移動はもっぱら原チャリ。

でも「夏期講座行ってくる!」とうそついて、友達の車でサザンかけながら海行ったりしてた。

今考えると『スタンザ』とか『B12型サニー』とか超絶ダッさい車だったけど、みんなで遠くまで行けちゃう、夜中でも出かけられるってだけで楽しかったもんです(遠い目)。

そういえば、「アッシー君」なんて言葉が生まれたのも当時ですネ。

さて、そんなバブル終末期という時世を反映して登場した車たちは、どれも“ぶっ飛び(知らない人は「ドラマ いつも誰かに恋してるッ」で検索)”な個性派揃い。

『三菱 エクリプス』(北米からの逆輸入)や『GTO』(漫画&ドラマじゃない方の)、『日産 プリメーラ』など、グローバル化が進んだ年でもありました。

▲東西ドイツの統一が成されたのも1990年。今ではベルリンの壁もモニュメントに ▲東西ドイツの統一が成されたのも1990年。今ではベルリンの壁もモニュメントに
▲かつての国境を越えるシーンが数多く報道され、東西ドイツ統一の象徴になった東ドイツ製のトラバント。ボディが段ボールでできてる、とバカにされてたけど、実際には綿や紙パルプ、羊毛(!)を構造材に使ったFRPだった(大して変わらネー) ▲かつての国境を越えるシーンが数多く報道され、東西ドイツ統一の象徴になった東ドイツ製のトラバント。ボディが段ボールでできてる、とバカにされてたけど、実際には綿や紙パルプ、羊毛(!)を構造材に使ったFRPだった(大して変わらネー)

ツマラナイ大衆車に一石を投じた名車

▲斜め上方に跳ね上げるバタフライドアを採用したセラ ▲斜め上方に跳ね上げるバタフライドアを採用したセラ

1990年に登場した迷車……否、名車で外せないのが『トヨタ セラ』

フェラーリとかランボとかのスーパーカーでしか見たことなかったガルウイングを、大衆車で採用しちゃったんだからね。(正確にはドアが翼みたいに垂直に立ち上がるのがガルウイングで、斜め上方に跳ね上がるセラのはバタフライドア)

もう、その時点で話題沸騰。

走りはスターレットがベースだから正直、大したことなかった。

後席の居住性についても、ワンマイルシート(1マイル乗ったら疲れる、という意味だけど、犬を乗せても参っちゃう、という裏の意味も)とやゆされるひどいものでした。

でも、ドアを開けるとテントウムシみたいになる姿がかわいいから、すべて許せちゃう!

商業的には失敗に終わったといわれてるけど、登場から30年近くたった今でもこうして話題にされ、中古車市場でも希少価値が付いているのだから、名車と言っていいんじゃないでしょうか?

国産セダンというカテゴリーを開拓した

▲欧州コンパクトセダンの雰囲気をぷんぷん匂わせて登場したプリメーラ ▲欧州コンパクトセダンの雰囲気をぷんぷん匂わせて登場したプリメーラ

続いてプレイバックするのは『日産 プリメーラ』

欧州と日本国内、両方の工場で生産され、両方の市場に投入されるということで話題になりました。

それまでの日産はどちらかというとレパードやセドグロなどチョイヤン風味なイメージだったのだけれど、プリメーラは欧州市場を重視した質実剛健なデザインと作り。

今でいう“意識高い系”だったわけです。

車高が高めで広い車内、メルセデス190クラスやBMW 3シリーズを意識しまくった硬派な乗り味が、国産車としては新鮮でした。

当時の国産車は車高を低く抑え、Bピラーのない、もしくはBピラーの存在感を隠した4ドア・ハードトップがメインで、本格派のセダンがまだ少なかったからです。

一方で派手さは皆無でしたが、目先のスタイリッシュさや豪華装備を追わない堅実な作りが、「バブル終了」を感じ始めた当時の日本にマッチしていました。

ミニバンブームのハシリはコレだ!

▲タマゴのようなワンモーションフォルムが斬新だったエスティマ ▲タマゴのようなワンモーションフォルムが斬新だったエスティマ

そして、さらにエポックメイキングだったのが『トヨタ エスティマ』の登場です。

今じゃマジョリティのミニバンだけれど、エスティマの登場以前は商用車と設計を共有するワンボックスが主流。

こんな流麗なボディラインをもつ3列シート車は他になかったのよ!

ワンモーションフォルムを「天才タマゴ」と表現したキャッチコピーも効果的でした。

初代はエンジンを運転席下に搭載したレイアウトでノイズや振動が大きく、しかもボディサイズが大きすぎ、価格も高すぎたために販売面では今イチ。

でも、その後の時代に起こるミニバン・ブームの先駆けとして、しっかり役割を果たしてくれたのです。



今見ると未完成な部分も目立つけれど、チャレンジングだった平成2年当時の車たち。

バブルの夢に浮かれていた時代が終わり、腰を据えて後世につながるプロダクト開発を目指した変革の時だったのです。

text/田端邦彦
photo/田端邦彦、トヨタ、日産