【伊達セレクション】異端の中古車評論家・伊達軍曹、20年落ち以上の車の神性に目覚める
カテゴリー: クルマ
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2014/04/01
車も、初度登録から20年以上生き延びればもはや神様である?
最近の新車は素晴らしい。もはや中古車を買う意義はないのか?
最近読んだある本によれば、現在17~26歳の若者はクールな「さとり世代」と総称されるらしい。しかし筆者はあいにく「巨人の星」で育った昭和世代ゆえ、物事すべてを勝負事としてとらえてしまう癖がある。
そのため中古車の評論を行う際も、脳内には常に「vs新車」という戦闘の図式が存在している。「この中古車は、新車を押しのけてわざわざ買う価値があるのか?」と脳内で中古車vs新車の各種決戦を展開し、中古車側が勝利した場合のみ、「この中古車は買いである!」というようなことを述べているのだ。
しかし正直、中古車側は分が悪いことも多い。
ひと昔前は新車も中古車も、燃費性能や安全性能に大差はなかった。しかし昨今の新車は(大げさに言えば)燃費がいきなり2倍になり、ヤバい時には勝手にブレーキをかけてくれるようにまでなった。このあたりは趣味の話としてはさておき、移動のための機械としてはウルトラ重要なポイントだ。
それゆえ、例の「中古車vs新車、脳内決戦」でも「……正直、新車買ったほうがベターかもね」という判定になる場合も多いのだ。特に、5年から7年落ちぐらいの「とりわけ古くもないけれど、決して新しくはない」という中古車に対する判定結果は、そうなるケースが多い。
ということは、我らが愛する中古車は死んだのか? ロック・イズ・デッド、クイーン・イズ・デッドなど、過去にさまざまなデッドが宣言されたが、ここに来てついに「チューコシャ・イズ・デッド」も宣言されてしまうのか?
浮世のモロモロを超越した20年落ち以上の車に注目したい!
……いや、やはりそうは思わない。理由は2つだ。まず第一に、ごく新しいモデル(登録済み未使用車や1年落ち以内ぐらいの物件)や、まずまず新しいモデル(初回車検までとか)を、新車より圧倒的に安く買うことができるという中古車の優位性は、ちょっとやそっとじゃ揺るがない。そういった高年式中古車に対する需要は、未来永劫にわたってあり続けるだろう。
そして第二に「神の領域」という魅力がある。……いきなり神の領域といっても何のことだか意味不明だろうが、要するに「人間でも樹木でも何でも、極度に長生きすると、ある種の神性を帯びてくる」ということだ。
それは車であっても同じことで、具体的に年数を区切るのは難しいが、まぁ例えば初度登録から20年も経つと、車も妙に神々しくなる。それらはまるで「うんまぁ、燃費とか自動ブレーキとかも重要だけど、それはそれとして、みんなでのんびり、幸せに走るのがいちばんじゃないかなぁ」などと穏やかに笑っている村の長老か、あるいは地元の神様のようだ。
そういった「神様」は、当然だが中古車としてしか入手することはできない。新車でそれを狙ってもあざといだけだ。それゆえこの需要、すなわち「浮世のモロモロを超越した長寿車」に対する需要も、未来永劫にわたってあり続けるのだ。たぶん。
ということで今回の伊達セレクションはずばり「20年落ち以上の神々しい(?)輸入車」だ!
1988年から1993年まで販売されたM・ベンツ190E 2.5-16。レーシングエンジンの名門コスワースがヘッド部分の開発を行ったスポーツモデルだ
WRC(世界ラリー選手権)5連覇の偉業でおなじみのランチア デルタHFインテグラーレ。様々な進化を遂げつつ、最終モデルは1995年まで販売
1966年から1993年まで生産されたアルファロメオ スパイダー。写真は初期型だが、90年代初頭の上級版「ベローチェ」は今なお多数流通している
【伊達軍曹 Sergeant DATE】東京都杉並区出身の輸入中古車研究家。外資系消費財メーカー本社勤務の後、出版業界に。現在は「輸入中古車は、その価格にかかわらず素晴しい!」との見方を核とする輸入中古車研究家として各誌で活躍。雑誌「カーセンサーEDGE」では「中古車相場 威力偵察隊」を連載中