▲クライスラーが発売したEP盤専用の「RCA45」(イラスト左)。14連奏のオートチェンジャー式で、再生が終わると1枚ずつディスクを落下させて連続演奏を実現した。RCA45とほぼ同時に発売されたフィリップスの「Automignon」(イラスト右)はカーCDのようなスロットイン方式を採用した1枚がけプレーヤー。RCA45とは対照的にシンプルなデザインで、アフターマーケット向け車載プレーヤーの記念すべき第1号である ▲クライスラーが発売したEP盤専用の「RCA45」(イラスト左)。14連奏のオートチェンジャー式で、再生が終わると1枚ずつディスクを落下させて連続演奏を実現した。RCA45とほぼ同時に発売されたフィリップスの「Automignon」(イラスト右)はカーCDのようなスロットイン方式を採用した1枚がけプレーヤー。RCA45とは対照的にシンプルなデザインで、アフターマーケット向け車載プレーヤーの記念すべき第1号である

理想と現実の間を行き来しながら導かれた「シンプル・イズ・ベスト」という結論

LPレコードの開発メーカーであるCBS/コロムビアとクライスラーとのコラボレーションによって1955年秋に誕生した史上初の車載レコードプレーヤー「HIGHWAY Hi-Fi」。

しかし実際に売り出してみると、発表当初の熱気とは裏腹に市場の反応は冷ややかなものでした。

顧客にとって最大の不満は専用規格の16回転レコードしか聴けなかったことにあります。

専用レコードはコロムビアが製造し、クライスラーが自動車ディーラーを通じて販売する方策が取られましたが、ご想像のとおりタイトル数は限られ、また自動車ディーラーがレコード店のように豊富な在庫を持つことも困難でした。

すでに家庭用として普及していたEP盤(HIGHWAY Hi-Fiと同じ17㎝径で45回転)もかかるのなら状況は違っていたでしょうが、EP盤はコロムビアのライバルであるRCA社の開発によるもので、技術的には可能でも政治的に難しかったと推察されます。

ちなみにSP盤と同径のまま演奏時間を長くしたLP盤(1947年)と、SP盤並みの演奏時間で小径化したEP盤(1949年)はしばらく覇権を競い合う関係にあったものの、各々に利点があることから後に他社方式も互いに採用して共存の道が選ばれています。


片面45分、すなわち30㎝ LPの約1.5倍もの長時間連続演奏を可能にしたHIGHWAY Hi-Fiの技術は確かに素晴らしいものでした。

長い交響曲やオペラも途切れなく鑑賞でき、さらにレコードかけ替えの手間からドライバーを解放したことは、車載機にとって一つの理想の実現と言えるでしょう。

しかし技術的な理想にこだわるあまり、そして商品化を急ぎすぎるあまり、彼らはコンテンツの欠如という顧客にとって致命的な欠点に目をつぶって見切り発車してしまったのです。

コロムビアは専用レコードの新譜を積極的にリリースし続けたものの販売が上向くことはなく、さらに新技術ゆえのハードウエアのトラブルがこれに追い討ちをかけました。

誤使用によるものも含めて故障が続出し、クライスラーは1958年モデルを最後に販売打ち切りを決定。わずか3年でフォーマットごと消滅、という結末を迎えたのです。

その後HIGHWAY Hi-Fiの技術は意外な活路を見いだします。書籍の朗読などを収録した視覚障害者向けの超長時間レコード(トーキングブック)に、ウルトラマイクログルーブの高密度記録が生かされたのです。

開発者のピーター・C・ゴールドマークは、CBS退職後に従事した様々な社会貢献活動の一つとしてトーキングブックの制作と頒布に尽力し、それはカセットテープに取って代わられる1970年代まで続けられました。

それでもクライスラーは車載レコードプレーヤーを諦めませんでした。1959年、今度はRCAと組んでEP盤専用の「RCA45」というシステムを発売したのです。

それは14連奏のオートチェンジャー式で、レコードを14枚重ねてプレーヤー上部のスピンドルにセットしておき、1枚ずつ下へ落とすことで連続演奏を実現していました。

荒っぽい仕掛けにも見えますが、もともとEP盤はジュークボックスでの自動演奏を想定した仕様であり、その意味では理に適った機構と考えることもできましょう。

このRCA45も商業的には成功と言い難く、2年後の1961年に販売を終了。もう後継機は現れませんでした。

一方、ヨーロッパでは1959年、RCA45と相前後してオランダのフィリップスが1枚がけタイプのEP盤専用プレーヤー「Automignon」(オートミニヨン)を発売します。

こちらは6Vと12Vの電源切り替えを備えた汎用品で、片手でディスクを出し入れできるスロットイン方式とコンパクトなボディが評価され、ヨーロッパはもとよりアメリカでも「Norelco」(北米フィリップス)のブランドで一定の地位を獲得。1960年代後半まで販売が続く息の長いシリーズとなりました。

結局のところ、顧客が求めていたのは長時間再生やオートチェンジャーといった高機能よりもシンプルな扱いやすさだったのです。
 

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文/内藤 毅、絵/平沼久幸

内藤 毅

コピーライター/オーディオ+自動車評論家

内藤 毅

東京都生まれ。音響機器メーカー品質保証部、宣伝部勤務を経て1991年に個人事務所「内藤研究所」設立。様々な媒体で活躍中。

※カーセンサーEDGE 2019年3月号(2019年1月26日発売)の記事をWEB用に再構成して掲載しています