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2人で初デート……のはずが?

木曜は、見事な快晴だった。

茉莉花(まりか)は、サンタクロースにもらったプリキュアのポーチをもって、鏡の前で様々なポーズをとっている。通常どおり保育園に登園させるつもりだったが、先手を打って朝香から『子供も連れてきて』と連絡があったのは予想外だった。

朝香いわく、「こどもの日」に向けて開発中の新商品の試食に協力してほしいとのこと。がっかりしたようなほっとしたような……。

茉莉花と玄関を出ると、久しぶりに着るワンピースの裾から冷気が伝ってくる。一昨日の仕事帰り、張り切りすぎるのもしゃくで、ZARAで買ったのだ。

なんの緊張もなかった前回と違って、今日は妙な恥じらいがある。まるで、成り行きで一夜をともにした男女が迎える朝のような。大人びた表情でこちらを見ている茉莉花と目が合った。

……い、いかんいかん。

朝香は玄関先まで迎えに来てくれていた。運転席から降りてくるなり開口一番、「浅野に似とるなー!」と笑った。

朝香はいつも自然体だ。構えていた気持ちが一気にほぐれる。茉莉花の目線の高さまで腰を落とし、

「今日はよろしく。俺は、あ、さ、か。お名前は?」

と話しかけた。茉莉花は堂々としたもので、

「まりか。5さいだよ」

と標準語で返答した。

朝香の存在をどう説明すべきか、茉莉花が祖父でも保育園の先生もない大人の男性にどんな反応を示すか不安がなかったわけではない。2人の自然なやりとりに安堵する。

「ここに乗ればよか?」

ドアノブに手をかけようとすると、スライドドアが勝手に開き、広々とした座席にはチャイルドシートがセットされていた。

「何これ!?」

用意の良さに驚きを通り越して笑ってしまう。

「命を守るチャイルドシート。子供同伴のデートには、必須やろ」

冗談ぽく言った「デート」という響きがやけに耳に残る。

illustration/cro

車は床が低く、子供でもスムーズに乗り込める。茉莉花は車にセットされた自分専用の座席にすっかり気分を良くし、嬉々として座った。後部座席のモニターを指差して、「ゆーちゅーぶ見れるー?」とはしゃいでいる。

「浅野はこっち乗って」

助手席のドアを開けられると、座席が妙に後ろだ。運転席後ろの茉莉花との距離がとても近い。

「よく見えるやろ」

朝香が笑った。

「お前は俺の隣でナビね」

行き先は朝香の店だ。ナビの必要などあるはずもない。言葉の奥に潜む相手の気持ちをはかりかねて戸惑う。甘酸っぱい感覚がよみがえった。





工房にはあずきの優しく甘い香りが広がっている。

果たして私と茉莉花は、浅野が「こどもの日」のために開発中だという新商品について大放談を繰り広げた。

最初は一生懸命作ったものにケチをつけるなんて悪いなと思っていたが、いざ食べ始めると黙っていられなくなった。茉莉花は子供らしい率直な残酷さと、女の子特有のませた言い回しで朝香を唸らせている。思ったことを素直に口にしたとしても、朝香は真摯に受け止めてくれるのがいい。

男の人はプライドが高い。ましてや仕事のこととなれば。

ベンチャー企業の社長だった前の夫は、仕事のことに意見するとあからさまに嫌な顔をした。バツが悪くなると、「君は世間知らずだから」「経営の難しさは君にはわからないよ」と私をさげすんでは保身した。自分の存在意義が感じられない高層マンションの上層階で営む豊かな暮らしは、空気が薄く感じられた。

朝香は私たちの言葉を熱心にメモしては、包装紙のサンプルを出して「こんなのはどう?」と提案したり、パソコン画面を立ち上げて「こんなイメージ?」と意見を求めてくれた。

その場で手早く練り切りを使って茉莉花がリクエストするキャラクターを形にしていく朝香の横顔は、私の知らないプロの表情だ。大学卒業後、専門学校にも通ったという仕事への真剣さと磨かれた技は、少年だった朝香を大人の男にしていた。

illustration/cro

「わたしもやってみたい!」うずうずした茉莉花がねだると、「おぅ、やろやろ!」と朝香はニコニコしながら丁寧に工程を教えている。いつの間にか2人は、茉莉花、アサカさんと呼び合って意気投合していた。

「うまい、才能あるわ。浅野も手先が器用やき、遺伝やね」

高校時代、勉強は得意でなかったけど、ノートに雑誌の切り抜きを貼ってはコラージュするのが趣味だった。それを朝香は眺めながら、かっこいい、センスがいいと褒めてくれたのを思い出した。

自分を昔から知っている人の温かな言葉には、自分が価値ある人間だと思わせてくれる何かがこもっていた。そして、娘のことを優しく見守ってくれる他人の存在は、寄る辺もない自分たちにとってどれほど大きな支えかと思い知る。

「私もやってみたい!」

不覚にも湿っぽくなった気持ちを吹き飛ばすように、私も参戦を宣言した。

****

大量のあずきや小麦粉や米粉を摂取し、すっかり重くなったお腹を少しでも軽くするために、「よっしゃ、運動しよ!」と言って朝香が車を向かわせた先は、シーズン終了間近のスケート場だった。

茉莉花にとっては初めてのスケートだ。車もアウトドアも不得意な私が茉莉花を連れていけるアクティビティといえば公園程度。「これ、エルサのやつだよね?」と少し前に流行ったディズニー映画の舞台を目の前にしてテンションはマックスだ。

朝香は、茉莉花の手をしっかりとつなぎ、氷の上に連れ出す。つるつる滑る氷の上で必死にバランスをとろうと足が小刻みに震えている。

「ぜったいに離さないでよ!」

茉莉花は朝香の両手にしがみつく。

「大丈夫。ほら、歩いてみ」

朝香はゆっくりと足を交互に後ろに引き続きながら、茉莉花を導く。キャーキャーキャー!!!!!と茉莉花の恐怖と歓喜が混ざった声がリンクに反響した。

「ママーーー、見てーーー!」

朝香に引っ張られて牛歩で前進する茉莉花がリンクサイドの私に叫ぶ。

ふと、自分たち3人は他人からどのように見えているのだろうかと思った。母親似の娘と、優しい父親が仲良くスケート場を訪れている。そうはた目には映っているのかもしれないと思うと、急に頬が熱くなった。

朝香がこちらに大きく手を振っている。「離さないでって言ったでしょ!」と茉莉花がムキになって朝香の手を空中で必死に探す。ごめんごめんと笑いながら注ぐまなざしは、父親との思い出がほとんどない茉莉花にとって、残酷なほど優しいものだった。

絵に描いたような幸せな風景が目の前に広がる。

手を伸ばせばつかめるのかもしれない。

でもそれを朝香に期待するのは身勝手な気がして、コーヒーを買いに行くふりをしてその場を離れた。

illustration/cro

はしゃぎ疲れたのか、後部座席の茉莉花は熟睡している。

助手席を元の位置に戻し、運転席の朝香と肩を並べた。先ほどまでと違って、朝香も口数が少ない。偶然の再会から今日と、たった2日間の出来事なのに、とても長い時間に感じられる。

2人の関係性も、何かが変わってきているのをお互い意識し始めていた。

地元局のラジオが流れている。地元では人気のDJが、古い曲を次々とかけていた。聴くともなしに聴いていると、歌詞が耳に入ってくる。

♪ Car Radio 流れる せつなすぎるバラードが 友達のライン こわしたの……
(『愛が止まらない ~Turn it into love~』 作詞・作曲:Mike Stock・Matt Aitken・Pete Waterman、日本語詞:及川眠子)


妙に設定がシンクロしているではないか。なんだこのムズムズ感。

あたりはすっかり暗い。夜、密室、2人の男と女。何が起こってもおかしくない条件は整った。奇妙な照れと心地悪さが車内に充満する。

何か言わなければ、と思った瞬間、

「あのさ」

と朝香が沈黙を破った。

「俺さ」

言いかけた言葉を

「ストップ!!!」

と反射的に遮ってしまった。

「あんたが困ってる人をほっとけない性分なのは分かっとる。やけんって、先走らんで。再会したばっかで朝香のことよく知らんし、変な関係になって友達失いたくないけん。私、朝香のこと人間として好きやし」

そこまで一気にまくしたてて、ようやく朝香の顔を見た。あっけに取られた様子でビー玉みたいな目でこちらを見つめている。

「まだ何も言っとらん……」

朝香が平坦な口調でそう言うと、

「……ね」

と、私も肺の中に新しい酸素を吸い込んだ。

「でも、大体正解」
そう言って朝香が笑ったので、

「そうやろ?」
と、笑い返した。

「まずは、お友達からで」
そうちゃかすと、

「え、まだ友達やなかったと?」
朝香が突っ込む。

すると、寝ていたと思っていた茉莉花が突如後部座席の間から顔を出し、

「アサカさん、今度イチゴ狩り行かない? わたしこの車、気に入っちゃったのよね」

と生意気な口調で言ったので、思わず顔を見合わせて笑った。

( fin. )

text/武田尚子
illustration/cro(@cro_______cro)