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まさかの再会。でも、もうあの頃には戻れない

「おい、おい!!!」

突然、どこかからか声が響く。私、浅野れいかは、勤め先のネイルサロンからの帰り道。

風に吹かれて乱れるボブを直す気力もなく、厳しい寒さに身震いしながら足早に横断歩道を渡っていた。

声の主に目をやる暇も待たずに、クラクションが鳴る。
(しつこいな~……)
横断をせかされているのか……と左折待ちしている車に目を向けると、窓から顔をひょいとのぞかせてこちらをじっと見ている男がいた。

見覚えのない男……じゃ、ない……かも。

「え? もしかして……朝香?」

と、叫んだときにはすでに歩行者信号は点滅していて、朝香亮がフロントガラス越しに指をさしながら口パクで「急げ!」と叫んでいる。

声をかけたのはあんたでしょーが……。

一息つきたくて買ったスタバのラテをちゃぷちゃぷ揺らしながら小走りに信号を渡りきる。振り返って朝香の車、ホンダのN-BOXを見ると、また指で何かを指示している。そこの角を曲がったところに来い、ということらしい。

N-BOXは、細い路肩に停車していた。窓ガラスに、30歳の私の姿が映っている。

朝香亮は高校の同級生で、出席番号が前後だった。出席順に配置された座席で、朝香はいつも私の前の席。授業中の居眠りを背中で隠してくれたり、当てられてフリーズしているとカンペを回してくれたりと、何かとお世話になった。

面倒見がよくお人良しだった彼は、女の趣味は良いとはいえず、ぶりっ子の仮面の下に深く自我の根を張った女の子と付き合っては、携帯から女子のアドレスをすべて消されたり、廊下で泣かれたりしていた。

そんな朝香の恋愛相談にのることで、私たちは持ちつ持たれつの関係性を築いていた。

恋愛感情はないけれど、特別な存在だったといえる。でもそれも、在学中までのこと。

illustration/cro

私は卒業後すぐに上京し、以来こうして戻って来るまでは地元に寄り付かなかったので、実に12年ぶりの再会。高校の頃、おばさんだと思っていた年齢になった私を朝香はどう思うだろう……。

乱れた長い前髪を手ぐしで流して耳にかけると同時に、ドアが中から大きく開いた。

「おっす」

助手席に身を乗り出しながら、まるで昨日まで顔を突き合わせていたような自然さで朝香は言った。あまりにも変わらない様子に、自然と笑えた。

「何年ぶり? よう分かったねー」

普段は東京帰りのつまらないプライドで地元の言葉は使わないが、自然とイントネーションがなまる。朝香の前では、標準語を話す方が恥ずかしい気がした。

「わかるやろ。てかお前、相変わらず派手やね」

歯に衣着せぬ物言いだとしても、嫌味にならないのは朝香の人徳だ。

車に乗り込む。車内は外観から想像するよりもずっと広々としていた。運転席と助手席を隔てるものは何もない。

「送っちゃーよ。お前ん家、どこやったっけ?」

おっと。この言い方は、私が今は実家暮らしだと知っているらしい。……当然、私がバツイチ子持ちだという情報も知っているだろう。そう、私は出戻りなのだ。ひとり娘の茉莉花(まりか)と実家で暮らしている。

「変わらんよ。大橋。九大の近く。でも家やなくて保育園まで送ってもらってよか?」

朝香は特に目立ったリアクションもなく「OK。ナビ入れるけ、住所」と淡々と言った。

会わなかった12年の間に起こったことを、何から話せばいいのかわからなかったとしても、人生のビッグイベントに失敗したということ、出産したことくらいはシェアに値するだろう。

それでもこの手の話をすれば、興味本位に詮索してくるやからや、同調して自分の身の上話と重ねては“同族”として奇妙な連帯感を押し付けてくるやからがいる。それが煩わしくて、地元の旧友にも連絡をとっていなかった。

しかし、朝香にならなんとなく話してもいい気になる

「地元戻っとるの、知っとったん」
「うん。お前が1回も来とらん同窓会で、ひとみが言いよった」

ひとみはゴシップ好きの芸能レポーターのような女で、運の悪いことに実家が近所だ。母親経由で私の出戻りの情報をつかんだらしい。

「子供は何歳なん?」

朝香はまたしても淡々と質問してくる。5歳、と答えると、ふーん、と特別感慨もない様子だ。そして、顎で私の手元をしゃくりながら、あっさりと話題を変える。

「それ、酒ね?」
「んなわけなかろ(笑)。スタバよ」
「『仕事帰りにスタバでラテ』って、さっすが東京の人はしゃれとるねぇ。“インスタ映え”狙っとーっちゃろ」
「東京の人やないし」

東京の人でもない。だけど、地元の人間と言うにはよそ者だった。縦に長い大きなフロントガラスには、生まれ育った街のパノラマが広がる。低い建物に灯る光は温かく、夜空は冷気で澄んでいた。ここで朝香はずっと暮らしていんだ、と思う。

骨ばった少年から、大人の男性らしい体つきに変化していたが、朝香は若々しかった。白デニムに地厚の青いダンガリーシャツにスニーカーというルックスで清潔感もある。

東京でなければおしゃれなものが手に入らない時代ではもはやない。ブランド物で身を固めて個性を失った装いよりも、朝香の抜け感のある様相はよほど熟れていた。東京に行けば、ここにはない何かが手に入ると思っていた自分が、なんだか滑稽に思えてくる。

「朝香は、今何しよん?」
「実家、手伝っとる」

朝香は地元で長く続く和菓子屋の三代目だったのを思い出した。高校のとき、体育祭で紅白まんじゅうをご両親がクラス分用意してくれたっけ。私たち青組だったけど。朝香はごそごそと後列に手を伸ばして何かを取ろうとしている。

振り返ると、後席は倒され荷室になっていた。いくつも段ボールや紙袋の束、ポスターがごった返している。

「この荷物、何?」
「新商品。ショッピングモールに出店の営業に行った帰りなんよ。佐々木、覚えとる? あいつが今責任者っちゃんね」

おぼろげながら元クラスメイトの姿が浮かぶ。目的のものを見つけたらしい朝香が差し出した手には、『鯛焼き大福』と書かれた小包装があった。

「これ、子供にお土産。持って帰って食べり」

そう言ってニヤッと笑う。お前のも、と言ってさらにもうひとつ包みと商品パンフレットが渡される。どうやらたい焼きの間に苺大福がサンドしてあるという代物らしい。

「横から見て。流行っとる“萌え断”。インスタ映え狙っとうけん」
「あんた、インスタ映えって言いたいだけやろ」

たわいもない軽口を叩ける気楽さが嬉しい。母でも娘でもネイリストでもない自分という人格で、こんなにリラックスして人と話したのはいつぶりだろう。

illustration/cro

「よかったらお客さんにも勧めて。この商品、若い女の子がターゲットやけんね」
「どら焼きサンドやったっけ?」
「たい焼き! 桑原、覚えとる? アイツ糸島でカフェ始めたっちゃけど、そこにも卸しよるっちゃん。評判、上々ち」

3代目らしい使命感を垣間見せて意気込む朝香の充実ぶりが伝わってくる。朝香だけではない。かつての同級生たちが、それぞれの場で活躍している。

“ここでは見つからない”と私が簡単に捨てて行った故郷で、地に足をつけて確かなものを積み上げてきた人たち。

東京にいた頃、それこそが価値あるものと信じて疑わなかったブランドバッグ、タワマン、外車……。しかし地元に戻ってみれば、ここに暮らす人たちにとってそれらは遠い国の言葉のように意味をもたない。

スマートフォンの画面の先にいる、顔も知らない誰かに「いいね!」と言われたくてしがみついていた何かから解放された自由な生き方を彼らはしていた。

揚げ句、理想の夫だと思って結婚した相手とはうまくいかず、自分の信じてきたものは一体何だったのだろうと途方にくれる。 旧友との嬉しい再会は、同時に今の自分の苦い人生を浮き彫りにするようだった。

「あ。樋口がでっかい家建てたんよ。今度みんなで遊びに行くけ、お前も来たら」

家の購入、という言葉が、自分の人生の何千里も先にある気がして、目まいを覚える。

「よかよか。私のこととかみんな忘れとうやろ。それにそんなリア充の集まり、私の居場所ないけ」
「りあじゅう? 何それ? 地名?」
「はぁ、知らんと? おっさん!」

ちゃかしても心からは笑えない。

「子供連れてきいよ。樋口ん家とか3人おるけ」
「……よかって。うちの子、肩身狭い思いする」
「なんで?」
「なんでって……」

うちの子、ではなく、私が、の間違いだと、言った後に気づく。そんな心を、きっと朝香は見透かしている。

「来いちゃ。お前レアキャラやき、連れてったら俺の株が上がる!」

私のバツの悪さをごまかす余白を与えてくれた朝香の優しさに、余計に惨めになる。冷え切ったラテをドリンクホルダーに所在なく立てた。

すると、「俺、離婚したんよ、最近」――そう長くはない沈黙を打ち破って朝香が言った。

地方組の結婚は早い。でもなぜか、朝香が結婚しているとは思いもしなかった

それまで萎んでいた気持ちが現金にもむくむくと頭をもたげる。

「30年も生きとったら、いろいろあるやろ」

その様子は、たいして深刻そうにもない。私は思わず体ごと朝香の方に向き直った。

「いつ結婚したん?」
「大学卒業してすぐ、っち感じ」
「なんで離婚したん?」
「なんで? まぁ世の中の夫婦がダメになるのと同じような理由よ。ちょっとずつ歯車が噛み合わなくなって~……みたいな」
「相手、どんな人?」
「……お前、急に元気になっとらん?」

人の不幸はなんとやらで、わいてくる興味のまま、12年の間にあった出来事を根掘り葉掘り聞き出した。

「まぁ要は、選ぶ女が悪かったったいね」

私はそう言って広々としたシートで足を組むほどには余裕を取り戻していた。

「うっせ。俺は、一度愛した女の悪口は言わん主義やけん」
「あーね。全然かっこよくない(笑)」
「人の不幸話聞いて喜んどるやつに言われたくないっちゃけど」
「……それは確かに」

憎まれ口をたたき合いながら笑った。

暗闇にスマートフォンのディスプレイが浮かび上がる。お迎えのタイムリミットを示すアラームだ。

「朝香、悪い、急いで!」

朝香はアクセルを踏み込む。今までが時間稼ぎだったかのように、車はピッチをあげ、5分もしないうちに保育園の前についた。

「ありがと、じゃあね!」

明かりが最小限になった保育園に急かされるように、私は車を降りた。待っていてくれるかも……と少し期待を持ちつつ。しかし、茉莉花を引き取り表に出るころには、朝香のN-BOXはいなくなっていた。

****

帰宅後、娘を寝かしつけ、ようやく一息つきながらスマホの画面に触れると、LINEの未読メッセージの通知が現れた。

今や連絡を取り合う相手など、母親と勤務先のサロンの店長と同僚くらい。淡い期待を抱いて指をスライドさせると、朝香の名前が目に飛び込んできた。メッセージはたった5文字。

『木曜ひま?』

お互いサービス業だ。休みは平日が多い。そして見事に、次の休みは木曜だった。

『ひま』

こちらも最短ワードで返事をすると、たちまち既読になり、『キープで』と返事が来る。まどろっこしいのが苦手なので、このスピード感は心地よい。何時? と返事をしながら、何を着て行こうかを考え始める。誰かに会うために洋服を選ぶなんて、いつぶりだろう。

illustration/cro

最近は、茉莉花と公園に行くのに汚れてもいい服、節約で安い服ばかりがワードローブのスタメンだ。東京にいた頃は、地方の家賃のような値段の靴で闊歩していたのに。

……明日は早番だ。帰りに買い物して帰ろう。

(後編につづく。2018年3月15日17時頃、公開予定!)

text/武田尚子
illustration/cro(@cro_______cro)