▲「新車乗用車販売台数ランキング」で長く1位を守り続けていたカローラの記録を破ったのがフィット。2002年の年間販売台数ランキングでフィットが首位になったことは大きなニュースになりました。センタータンクレイアウトを採用した広い室内や優れた燃費性能で人気を集めました ▲「新車乗用車販売台数ランキング」で長く1位を守り続けていたカローラの記録を破ったのがフィット。2002年の年間販売台数ランキングでフィットが首位になったことは大きなニュースになりました。センタータンクレイアウトを採用した広い室内や優れた燃費性能で人気を集めました

1938年、自動車史に残る名車がお披露目!

日本には様々な暦や記念日があります。そして車の世界を見渡しても多くの記念日があります。今回は6月21日から7月4日までの出来事を紹介します!

■6月22日 初代ホンダ フィット発売(2001年)
■6月23日 マツダ 787Bが日本車としてル・マン24時間レース初優勝(1991年)
■6月24日 トヨタ チェイサー発売(1977年)
■6月24日 ホンダ バモス発売(1999年)
■6月30日 トヨタ パブリカ発売(1961年)
■7月1日 名神高速道路が全線開通(1965年)
■7月1日 ホンダ バラードスポーツCR-X発売(1983年)
■7月2日 初代トヨタ プロボックス/サクシード発売(2002年)
■7月3日 フォルクスワーゲン タイプⅠ発表(1938年)
■7月4日 首都高速都心環状線が全線開通(1967年)


6月後半から7月にかけては、多くのファンを虜にしたスポーツカーや、カローラから日本一の座を奪った大ヒットモデルがホンダから登場しました。日本の高度経済成長を支える高速道路が開通したのも、この時期です。

▲1990年、マツダはプロトタイプカーの787でル・マンに参戦するも2台ともリタイヤ。前年モデルの767Bが20位で、なんとか完走を果たしたのみでした。翌年は、787と787を改良した787Bで出走。そして55号車(787B)が19番グリッドから徐々に追い上げ優勝。日本車、そしてロータリーエンジン初となるル・マンの勝利を勝ち取ったのです ▲1990年、マツダはプロトタイプカーの787でル・マンに参戦するも2台ともリタイヤ。前年モデルの767Bが20位で、なんとか完走を果たしたのみでした。翌年は、787と787を改良した787Bで出走。そして55号車(787B)が19番グリッドから徐々に追い上げ優勝。日本車、そしてロータリーエンジン初となるル・マンの勝利を勝ち取ったのです
▲1968年に登場したマークIIの兄弟車として1977年にデビューしたチェイサー。マークIIはラグジュアリーなイメージだったのに対し、チェイサーはスポーティな雰囲気を打ち出したモデルでした ▲1968年に登場したマークIIの兄弟車として1977年にデビューしたチェイサー。マークIIはラグジュアリーなイメージだったのに対し、チェイサーはスポーティな雰囲気を打ち出したモデルでした
▲1970年にデビューしたゴルフカートのようなデザインのバモスホンダ。その名前は長く途絶えていましたが、1998年10月の軽自動車規格の変更後、1999年6月にバモスは復活。現在でも“現行型”として販売されています ▲1970年にデビューしたゴルフカートのようなデザインのバモスホンダ。その名前は長く途絶えていましたが、1998年10月の軽自動車規格の変更後、1999年6月にバモスは復活。現在でも“現行型”として販売されています
▲自動車が一般的ではなかった1950年代、パブリカは大衆向けのモデルとして企画されました。700cc空冷2気筒水平対向エンジン、最高出力28馬力だったパブリカ。スタンダードの他、ライトバンやデラックスなど様々なタイプが登場しました ▲自動車が一般的ではなかった1950年代、パブリカは大衆向けのモデルとして企画されました。700cc空冷2気筒水平対向エンジン、最高出力28馬力だったパブリカ。スタンダードの他、ライトバンやデラックスなど様々なタイプが登場しました
▲1963年7月に栗東~尼崎間が開通した名神高速。1965年に小牧~一宮間が開通し、全線開通となりました。東名高速と直結し関東と関西を結ぶ大動脈として、現在でも多くの車が走っています ▲1963年7月に栗東~尼崎間が開通した名神高速。1965年に小牧~一宮間が開通し、全線開通となりました。東名高速と直結し関東と関西を結ぶ大動脈として、現在でも多くの車が走っています
▲1983年6月23日に発表、7月1日より発売になったバラードスポーツCR-X。「MM思想」(MAN-MAXIMUM,MECHA-MINIMUM)という考え方が取り入れられ、コンパクトなボディに1.5Lと1.3Lふたつの高性能エンジンが搭載されたライトウェイトスポーツカーでした ▲1983年6月23日に発表、7月1日より発売になったバラードスポーツCR-X。「MM思想」(MAN-MAXIMUM,MECHA-MINIMUM)という考え方が取り入れられ、コンパクトなボディに1.5Lと1.3Lふたつの高性能エンジンが搭載されたライトウェイトスポーツカーでした
▲初代ヴィッツのプラットフォームを使って開発されたビジネスユースのライトバンである初代プロボックス/サクシード。A4コピー用紙を89個(サクシードは90個)、みかん箱なら38個(同39個)も積め、日本のビジネスシーンで大活躍。これをカスタムして日常で楽しむ“マニア”も存在します ▲初代ヴィッツのプラットフォームを使って開発されたビジネスユースのライトバンである初代プロボックス/サクシード。A4コピー用紙を89個(サクシードは90個)、みかん箱なら38個(同39個)も積め、日本のビジネスシーンで大活躍。これをカスタムして日常で楽しむ“マニア”も存在します
▲「1000マルク以下で販売できる頑丈な車を作る」というドイツの国民車構想により、フェルディナント・ポルシェが設計したビートルことフォルクスワーゲンタイプI。1938年7月に披露されましたが、その後第二次世界大戦が勃発。本格生産は戦後からとなります。2003年の生産終了までに約2153万台が世に送り出されました ▲「1000マルク以下で販売できる頑丈な車を作る」というドイツの国民車構想により、フェルディナント・ポルシェが設計したビートルことフォルクスワーゲンタイプI。1938年7月に披露されましたが、その後第二次世界大戦が勃発。本格生産は戦後からとなります。2003年の生産終了までに約2153万台が世に送り出されました
▲東京の渋滞緩和などのために計画された首都高速道路。各路線をつなぐ役割を果たすために計画された都心環状線は、1962年12月に京橋~1号羽田線芝浦間が開通。そして1967年7月4日に芝公園~霞が関間が開通し、全線開通となりました ▲東京の渋滞緩和などのために計画された首都高速道路。各路線をつなぐ役割を果たすために計画された都心環状線は、1962年12月に京橋~1号羽田線芝浦間が開通。そして1967年7月4日に芝公園~霞が関間が開通し、全線開通となりました
text/高橋 満(BRIDGE MAN) photo/トヨタ、photolibrary、高橋 満(BRIDGE MAN)