ホンダ S660▲ミッドシップ、オープン、適度なパワーと小さなボディにも関わらず、スポーツカー要素をすべて備えているのがS660だ。椋本さんのマイカーは初期型のMT車

「買わない理由はいくらでも……だけどそれを越える楽しさもスポーツカーにはあります」

情報誌 カーセンサー・6月号(2020年4月27日発売号)では「さあ、スポーツカーしようぜ!」と題した特集を掲載している。

一歩踏み出して「境界線」を越えた先にあるスポーツカーライフ。その魅力とは何か。開発者やショップスタッフ、スポーツカーを愛してやまない著名人への取材を通して掘り下げた特集だ。

ここではその特集から一部を抜粋。ホンダ S660の開発責任者を務めた椋本陵さんへのインタビューをお届けしようと思う。

2015年に登場したホンダ S660は2人乗りの軽オープンスポーツ。開発責任者の椋本さんは当時まだ20代だった。若者がとんでもなく楽しい車を作ったと大きな話題となったが、その開発の経緯や車に込めた思いとは。

ホンダ S660

(株)本田技術研究所
オートモービルセンターデザイン室

椋本 陵

2007年、本田技術研究所にモデラーとして入社。2010年の新商品提案コンペで後のS660の原型となるスポーツカーを提案しグランプリを受賞。五感を刺激し、いつもの通勤路を走るだけで笑顔にさせてくれる痛快で楽しい車を目指し、責任者としてS660の開発に携わる。愛車はもちろんS660とホンダのSUV、エレメント。

新商品提案コンペに応募したのは「ゆるいスポーツカー」

車は子供の頃から好きで、小学校の頃に本田宗一郎の伝記を読んで影響を受けたことがきっかけでホンダを選びました。入社後は和光の本田技術研究所に配属になり、しばらくしてS2000を買ったんですね。

課の先輩が通勤に乗っていたので仕事帰りによく隣に乗せてもらっていたんですが、速いしかっこいいしオープンで気持ちいいしで、やっぱりこれに乗るしかないなと。で、ちょうどいい中古車に巡り合えたので手に入れました。

ホンダ S660

でも、これが僕の手に余るじゃじゃ馬で、乗りこなす実感がなかなか得られなかったんです。と、ちょうどその頃、社内新商品提案コンペみたいなのが開催されて、じゃあそこに自分の思いを込めたプランを出してみようと「ゆるスポ」をプレゼンしたら、それが最優秀賞になったわけです。

ゆるスポのコンセプトはタイプRみたいなガチのスポーツモデルとは違って、とにかく誰でも気軽に運転が楽しめるというもの。車格的には当初から軽をイメージしていました。最終選考は3案が残ったんですが、全部が軽自動車前提のプランでしたね。

ただ、他の2案はエンジニアリング的な検証もきっちりできていたんですが、僕の案だけはイメージ先行でそこからしてゆるかった。よく通ったと思います(笑)。

イメージはビートやモンキー。パワーより大事にしたいこと

ゆるスポのプランを描くにあたっては、ビートの進化版的なイメージもありました。所員の間でも人気があって、今でも通勤で乗っている人が多く、身近な車だったことも影響しているかもしれません。

あと、車ではないんですが、うちのバイク、50cc時代のモンキーのようなものもイメージしていました。高校生の時に同じエンジンを積んだカブで通学していたんですが、あの力いっぱい走ってる感じや、足りないところは乗り手が補う感じがゆるスポにはあっていいと思っていました。

ホンダ S660

先行検討に入った翌年に東日本大震災があって、研究所も被害を受けました。正直言ってスポーツカー作ってる場合じゃないだろう、これは終わったと思ってたんです。でも研究所のお偉いさんは前進しろと。大丈夫かよと心配な反面、ホッとしました。

開発にあたっては、相当いろいろな車に乗りました。中でも影響を受けた1台がロータス エリーゼです。強烈なエンジンがなくても、研ぎ澄まされた車体があればスポーツカーは成立すること、走るためだけに生まれてきたという潔さや割り切り、そういったところは刺激になりました。

ホンダ S660

開発中の悩みのタネは、ゆるスポのコンセプトの浸透です。開発目標は数値化されることで明確に共有されますが、このコンセプトは数字になるようなものではない。ホンダの社風として、作るからにはガチで! というマインドがあるのでS660はガチスポの側面も多々あります。

でも、結果的にはガチッと作り込んだことで、ゆるスポの思いも込められたように思います。例えば、交差点を曲がるのがすごく気持ちがいいとか、シフトチェンジが小気味よく決まるとか、速い遅いとは無関係な気持ちよさを感じてもらえると思います。

S660は開発に携わったメンバーの多くが購入して愛用しています。その数は他の車種より断然多い。みんなこういう車が欲しかったんでしょうね。社内のユーザーからは、なんで荷物こんなに積めないんだよ! とかって文句言われてます。まぁ、運転を楽しむのと同じで、そっちを工夫するのも楽しみましょうよって答えてますが(笑)。


軽のオープンスポーツは所有のリアリティが高い!?

S660に乗っていると人からすごく話しかけられるんです。その車どう? って感じで。屋根開けてると信号待ちで、トラックの運転手さんなんかに上から声かけられる。軽ってことで維持費も含めて、多くの人にスポーツカーを持つリアリティを感じてもらえてるのかなと思います。

ホンダ S660

スポーツカーって、手が届く夢だと思うんです。買わない理由はいくらでもあるんだけど、かっこよさでも気持ちよさでもいい、それを越える楽しさを手に入れられるものではないでしょうか。そして休みの過ごし方とか身だしなみとか、自分の日常が変わるような感覚が味わえる、そういう力をもつアイテムなんだと思います。

ホンダ S660
文/渡辺敏史、写真/山本佳代子
渡辺敏史

自動車ジャーナリスト

渡辺敏史

二輪、四輪誌の編集経験を経て、フリーランスの自動車ジャーナリストとして独立。海外の取材も積極的にこなし、国内外の最新モデルや最新の技術、時代に求められる自動車のあり方などを、専門誌や一般誌、ウェブ媒体などで紹介している。現在の愛車はマツダ RX-7