「124とはこれからもずっと一緒です!」オーナーが39年間抱き続ける一途な気持ち
2021/04/30
車の数だけ存在する「車を囲むオーナーのドラマ」を紹介するインタビュー連載。あなたは、どんなクルマと、どんな時間を?
39年にもわたる一途な気持ち
昔あった『NAVI』という自動車雑誌で、モータリングライターの金子浩久さんが「10年10万キロストーリー」という連載をやってらっしゃって、筆者はそれが大好きで毎月読んでいた。
だが、大好きであると同時に、「飽きっぽい自分には1台の車に10年10万km乗るのは無理であろうし、また多くの人にとってもそれは難しいだろう」とも思っていた。
しかし、今回ご紹介する佐々木晴英さんは10年どころの騒ぎではない。ひとつの車種に――正確には微妙に異なる2台にわたってだが――39年間である。
なぜ39年にもわたって「一途」でいられたのか。その理由をうかがった。
佐々木さんが最初の69年式フィアット 124スパイダーを購入したのは、社会人1年目の秋だった。
大学時代にアルバイトをしていた建築デザイン事務所の社長がいわゆるエンスーで、その社長氏の自動車観に多大な影響を受けた佐々木青年。青年は、社会人になったらみっちり貯金に励んでまずは100万円を貯め、それを頭金に、当時一番美しい車であると思えたフィアット 124スパイダーを買おう――と、在学中に決意した。
だが決意はあっけなく翻意された。
目標額であった100万円が貯まっていない10月の時点で、当時すでに希少車であったフィアット 124スパイダーの出物と出会ってしまったのだ。
「出てきてしまったらもう……買うしかないということで(笑)、予定を早めて購入しました。ま、足りない分は親に少し援助してもらってね」
その後39年間にわたることになる「124スパイダー生活」の第一歩だった。
69年式のフィアット 124スパイダーは若手社会人のファーストカーとしてごく普通に活用され、その後結婚すると124スパイダーは、妻の実家である鳥取県まで川崎市から帰省するための足にもなった。
学生時代に思ったとおりの美しい車であり、見た目とは裏腹に実用的な車でもあったフィアット 124スパイダーは、佐々木さんにとっては理想の1台であり、買い替える理由はどこにもなかった。
「まぁもともと一途な性格で、居酒屋さんも1軒のお店に30年以上通ってるぐらいですから(笑)」と笑う佐々木さん。124スパイダーとの蜜月は半永久的に続くとも思われた。
どうしても表彰台に上がりたくて……
だが、1992年頃にフィアット124のクラブを立ち上げ、仲間たちとツーリングなどを楽しむだけでなくサーキットも走るようになってから、雲行きは若干変化した。
「負けず嫌いというか“順位付け”が好きなので、タイムを上げるためにいろいろチューニングしたんですよ。でも1.4Lの124スパイダーだと何とか入賞はできても、どうしても表彰台には届かない。それがもう悔しくてねぇ……」
もちろん、本来はナローな124スパイダーのトレッドを大幅に拡大するなどの大改造を施せば、「佐々木選手」は表彰台に届いたのかもしれない。だが、「外観はノーマルで、でも走らせると実は速い」というのを理想とする佐々木さんの美意識が、「勝つためだけの過剰な改造」を許さなかった。
そしてそんなとき、1.8Lエンジン搭載モデルである現在の愛車、1974年式フィアット アバルト124ラリーの売り物が「イタリアにある」という情報が入ってきた。
「でも、当時の僕にとっては『イタリアからアバルト124ラリーを個人輸入する』なんていうのはあまりにも非現実的でした。そのため、いただいた話はそのまま放置していたんです」
だが半年ぐらいたった頃、「やはりアバルトに乗り替えたい……」との思いが募り、確認してみたところ、例の在イタリア物件は「まだ売れていない」とのことだった。
「となれば、これまたやはり買うしかないということで、1994年の自分の誕生日に登録しました。大きな誕生日プレゼントでしたね」
それ以来27年間、アバルト124ラリーは佐々木さんにとっての大切な“相棒”であり続けている。
「アバルト124ラリーは車としての素性がいいから(筆者注:パッケージングや重量バランスなどが優れているから、との意)、ちゃんと整備してちゃんとチューンすれば、手をかけた分だけタイムで応えてくれる車なんですよ」
佐々木さんが主に傾倒しているのは混走によるレースではなく、タイムトライアルとヒルクライムだ。他者との駆け引きではなく「自分との勝負」である。
「混走のレースは駆け引きも重要になるし、本気で勝とうとするとものすごいお金がかかるんですよね(笑)。でもタイムトライアルはそうじゃない。あくまで自分次第だから、お金はそんなにかからないんですよ。アバルト124ラリーはそもそもいじりやすい車だから、整備もチューンも全部自分でできちゃいますしね」
一昨年から昨年にかけて自宅ガレージでエンジンをチューンし、結局は2Lエンジンに載せ替え、そして貴重で希少な車のフェンダーを自分の手で切開し、オーバーフェンダー化した。
「フェンダーをぶった切るときはさすがに勇気がいりましたけどね。『後戻りできないな……』って。でも、まぁ失敗したとしてもまた溶接すればいいわけですから(笑)」
大の車好きであることは間違いないが、決して「偏狭なマニア」ではない。自ら主催しているイベント「アバルトカップ」は、実はアバルト以外の車種も普通に参加OKであるという、門戸の広さあるいは緩さが特色だ。
「まぁ単純に楽しいんですよ。どうすれば速くなるかを考えて、その考えを実践してチェックして、そして結果が出るという繰り返しがね。『1/1スケールの動くプラモデル』みたいなものでしょうか。そして妻も、もう100回以上開催しているアバルトカップ参加者のご婦人たちと大の仲良しになって、彼女たち同士で勝手に楽しんでますしね」
ご本人はアバルト124スパイダーをいつまでも手放さない理由について、「これだけアバルト用のパーツをたくさん買っちゃいましたからね、今さら他の車に行くのは大変なんですよ!」と笑うが、それは謙遜または照れ隠しってやつだろう。
1台の車と、それを速く気持ちよく走らせることに対するひたすらの愛あるいは情熱。そして、何より愛車と過ごす時間が楽しくて仕方ないから……。それこそが、佐々木晴英さんを突き動かしている原動力なのだ。
佐々木晴英さんのマイカーレビュー
フィアット アバルト124ラリー
●購入金額/210万円
●年間走行距離/約6000km
●マイカーの好きなところ/ドライバーの気持ちに答えてくれる所(好きだよ! と言うと好き! と返してくれる)
●マイカーの愛すべきダメなところ/ちょっとほったらかすと機嫌が悪くなる所
●マイカーはどんな人にオススメしたい?/泥沼車生活でも頑張れる人(なかなか人には勧められません)
自動車ライター
伊達軍曹
外資系消費財メーカー日本法人本社勤務を経て、出版業界に転身。輸入中古車専門誌複数の編集長を務めたのち、フリーランスの編集者/執筆者として2006年に独立。現在は「手頃なプライスの輸入中古車ネタ」を得意としながらも、ジャンルや車種を問わず、様々な自動車メディアに記事を寄稿している。愛車はスバル レヴォーグ STIスポーツ。
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