日産 GT-Rコンセプト(2001年東京モーターショー)→GT-R(2007年)

GT-Rがコンセプトカーとして東京モーターショーに初出展されてから、市販モデルがデビューするまでの道のりは長かった。初出展は2001年東京モーターショー、そして市販化は2007年である。この間、これだけ引っ張られてもなお、GT-Rへの期待が薄れなかったのは、神話性すら感じさせる、GT-Rという、さん然と輝くブランド力が、大きなファクターであった。

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この道のりの長さは、カルロス・ゴーン氏による戦略的な「じらし」作戦とする説もあるが、現状の日本でこれだけのモンスターマシンを量産する際の行政などの「抵抗勢力」の多さも大きく影響したようだ

引っ張りに引っ張られても文句ナシ

日産 GT-R コンセプトリヤ | 日刊カーセンサー GT-Rが初めて世に出たのは2001年開催の東京モーターショーに出展された「GT-Rコンセプト」となる。このときはまだ、R34型のスカイラインGT-Rが販売されていた。

資料を見るかぎりでは、塔載エンジンなどの詳細なスペックについては触れられていない。当時このコンセプトカーを会場で見た人たちの間でも、「中身のないドンガラではないか」という声もあったが、実際「コンセプトを披露しただけ」という意味合いは、強かったようだ。

次にGT-Rが世に出てくるのは2005年開催の東京モーターショーで出展された「GT-Rプロトタイプ」。この場では2007年に正式市販デビューさせることが発表された。ここでも気になるエンジンなど動力性能関連のスペックの披露はなく、「市販に近いエクステリア」というのはウリであった。他の車ならブーイングでも出そうな緩慢な展開だったが、これだけ引っ張られても次の発表が待ち望まれるというのは、GT-Rという名が成せる業だろう。

GT-Rお披露目でモーターショーに活気

日産 GT-R リヤ | 日刊カーセンサーそして2007年10月開催の東京モーターショーで、いよいよ待ちに待った市販モデルが正式に「GT-R」としてデビューした。何より驚かされたのは、これまで冠していた「スカイライン」の名を排除し、単独の「GT-R」になったことだ。

青バッジ、赤バッジ、エンジン型式L20とS20など、すみ分けはなされてきたものの、昔からのスカイラインファンにとっては、スカイラインの最高峰にGT-Rの存在があったが、今後はGT-Rとして独立するということに、寂しい思いをした人も多かった。とはいえ「いつかはGT-R」と、最高峰な車のシンボルとして讃えられ続けてきたので、もはや独自ブランドとしても十分な存在であったのも、万人が認めるところであった。

しかし、当時すでに日本では消費者の車離れが始まっており、全体は幾分シラケ気味のショーであったが、GT-Rの正式発表の場となった日産ブースでは、カンファレンス時に多数のメディア関係者が押し寄せ、ただならぬ熱気に包まれていた。往年の盛り上がりまくっていた東京モーターショーを彷彿とさせるものだった。

発売当時のベースモデルの777万円という価格は、「スーパーカー」の部類に入る車としては、まさにリーズナブル。かといって性能が劣るというわけでもない。気になるスペックは全長4655×全幅1895×全高1370mm。塔載されるエンジンは3.8LのV8ツインターボで480psを発生。6速デュアルクラッチミッションが採用されている。

見た目も性能も「ワクワク」もののGT-Rなのだが、残念なのはオーナーが手を加える、つまりカスタマイズあるいはチューニングがほぼできないという点だ。なにせデビュー当初は、「スタッドレスタイヤにオーナー自ら履き替えたら、メーカー保証が利かなくなるかも?」と言われたほど、「ハイパフォーマンスセンター」と命名された一部の日産ディーラーで厳密なメンテナンス管理がなされている。

ハイパワー車の市販を国土交通省が認可するときに、「めったやたらに改造されたら困る」と難色を示したとも言われているし、ライバルメーカーが「チャチャ」を入れてきたなどとも言われている。それだけ、いまの日本ではこの手の車は「社会のワル者」的扱いを受けているということかもしれない。

しかし、取材のためこの車を街中で運転しているときの、周囲の視線は熱いものが多かった。「これがGT-Rか」というような目で、おもにサラリーマンを中心とした男性の童心に帰ったような視線が、とてもうれしかった。まだまだ世の中には車好きが多く、そしてGT-Rのブランド力は失われていない、と感じたひとときであった。