マツダ BU-X(1995年東京モーターショー)→デミオ(1996年)

日本国内においては、マツダデミオの位置するコンパクトカークラスは、ホンダフィットとトヨタヴィッツの2強状態。デミオの存在感はいまひとつだ。しかし、一歩海外マーケットへ目を向けると、欧州での評価は高く、中国では専用の4ドアセダンまで現地生産されている。北米市場でも販売が開始されることが決定した。ちなみに海外では「マツダ2」という車名となる。そんな海外で人気の高いデミオの初代モデルは、1995年開催の東京モーターショーで、コンセプトカー「BU-X」として出品された。

BU-X | 日刊カーセンサー → | 日刊カーセンサーマツダ デミオ | 日刊カーセンサー

BU-Xは、フロントマスク回りが「コンセプトカーっぽい」以外は、はっきり言って完全に市販車としてまとまっている。1996年に市販化された初代デミオには、内外装の意匠が多少異なる、フォードブランドの「フェスティバミニワゴン」もラインナップされていた

ガチで市販モデルを想定

BU-X リヤ | 日刊カーセンサー初代デミオの原型は、1995年開催の「第31回東京モーターショー」に参考出品試作車として出展されたコンセプトカー「BU-X」。資料によると「BU-Xは、取り回しが容易なボディサイズのなかに、クラスを超えたスペースユーティリティを備えたマルチパーパスコンパクトカー」とのこと。

全長3800×全幅1650×全高1520mmというボディに1.5Lの直4SOHCエンジンが搭載されていた。コンセプトカーとはいうものの、「はじめに市販モデルありき」は見た目でもバレバレ。フロントマスクまわりを「コンセプトカーっぽく」加飾しただけの「なんちゃってコンセプトカー」といえよう。

マツダの救世主、あらわる

マツダ デミオ インパネ | 日刊カーセンサー市販モデルは、BU-Xがほぼそのままにデミオとなって1996年8月に登場。ミニバンほど背が高くないものの、ルーフレールを備えており、そのコンセプトはいまひとつわからなかったことを覚えている。

当時は「立体駐車場に入る」というのが唯一ともいえるウリだったようだ。長野県八ヶ岳の麓で行われた試乗会へ行ってみると、マツダ関係者からして「よくわからん車」と言っていたことが忘れられない。しかし、この業界人が「よくわからん」と思った車が、マーケットで大ウケになるケースはよくある。スズキのワゴンRなどもその代表例だ。

バブル経済の頃に開発された、「ムダに金のかかった車」が多いなか、「プラスチッキー」で無機質なインパネデザインを見たとき、「フォード(当時のマツダはフォードグループ)らしい割り切り」を感じた。機能性をとことん追求し、実用的な道具に徹したところが、ヒットの要因だったのかもしれない。

じつは当時、マツダは多チャンネル化戦略の失敗で経営難に陥っていた。それを救ってくれたのがこの、初代デミオの大ヒット。「マツダの救世主」と呼ばれることもあった。

初代デミオには1.3Lと1.5Lエンジンを設定。しかし、デミオが個性を見せ始めたのは1998年のマイナーチェンジ。「RX-7開発担当者が行った」ともいわれるサスペンションの改良で、同クラス車では類をみない「走る楽しさ」がデミオに加わった。それ以降デミオはマニアを中心に「同クラスのクオリティを超えた走り」が、代々ウリとなる。

上級グレードは「走り」を重視した消費者にウケ、さらに1.3Lを中心に格安お買い得グレードを大量投入。海外市場ほどではないが、短期間でデミオの知名度は急上昇した。

2代目、3代目とフルモデルチェンジが行われるたびに、デミオのアイデンティティには磨きがかかった。現行モデルには、オーバークオリティとも表現できる、「ミラーサイクルエンジン」搭載車もラインナップ。出張先でデミオのレンタカーに乗って、その性能の高さに驚かされる人も多いという。