松任谷正隆×中川とパープルの968【EDGYなカーライフB面】
2019/04/09
乗ることのなかったポルシェの究極FRの968
ギタリストの中川が、かみさんのツアーバンドに参加したのが80年代のことだったから35年以上は一緒にやってきたことになる。
寡黙で、なにかと仁義を大切にするやつで、しかしお酒を飲むとお説教をするタイプだったらしい。彼の後輩に当たるメンバーたちは相当やられたらしいが、先輩でもあり、お酒を飲まない僕はそんな一面をついぞ見ることはなかった。
僕がツアーバンドと接するのはほぼリハーサルの時だけ。ふだん一緒に遊び歩くようなことはしない。それがツアーバンドというものだ。
リハーサルがあるのはツアー前だから、その期間は毎日接するわけだけれど、ツアーが始まってしまうと、もう僕の出番はなくなるから、次に会うのはせいぜい東京公演とか最終公演とか。
ひさしぶりにコンサートに出かけると、最初はあんなに頼りにされていたのに、もう疎外感たっぷりで、自分は何だったのだろう、と思わされた。ショーは演出家のものではなく、出演者のものだから仕方なかろう。
中川はいつから車好きだったのだろう。覚えているのは、僕が80年代はじめに購入したアルファスッドの次のオーナーになったこと。
何年かして、舞台監督に売られ、スッドは見るも無惨に朽ち果てていくのだが、中川の時代はそれは大事にされていた。だからサビが浮けばすぐに修理を見積もり、貧乏なミュージシャンはいつも泣きそうだった。
舞台監督に売られたのは、修理が大変だったからではない。ポルシェが欲しかったからだ。スキーの上手い中川は運動神経もよく、従ってスッドのパワーでは飽き足らなくなっていたのかもしれない。
初めて彼が買ったのは944。たしか派手なブルーだった。当時僕は84年型の911カレラに乗っていたはずで、彼はそれを横目でうらやましいと思っていたらしい。
値段的に944が精一杯だった、とあとで聞いた。そういう僕はといえば、実はFRの944にかなり興味を持っていた。ポルシェが作るFRである。
911のようなトリッキーさはきっとなく、ドリフトアングルも自由自在に作れるのではないか、なんて想像した。
しかしそこは車好き同士。ちょっと乗せてよ、なんて簡単にいえない。なにしろ当時の我々にとって車は自分の城のようなものだったからだ。
僕が964型911RS(ああ、面倒くさい。なんでこんなコードナンバーで呼ばなければならないんだ?)に乗り替えた頃、確か彼は944の後継ともいえる968CS(これは911ではありませんよ。知っていると思うけど)に乗り替えた。
こいつが変なパープルで、中川にはまるで似合わなかった。まるでゲイバーから出てきたようだな、なんてからかったことを思い出す。
いやいや、これしか選べなかったんですよ。と彼は悔しそうにいった。
とはいえある意味944の完成形ともいえる968、しかもクラブスポーツとあれば、さぞかし自由自在に操れる車に違いない。これはなんとか一度は乗せてもらおう、と心に決めていたものの、実現することは無かった。
ある年のリハーサルの日。スタジオの駐車場には968ではなく、まっさらな、僕の一番好きなガンメタリックの911カレラ(形式は993)が停まっていた。
彼はちょっと恥ずかしそうに「そうなんですよ。清水の舞台から飛び降りちゃいました」といった。あの968はどうしたんだ、と聞くと、「もちろん下取りに出しました、安かったですけどね」と答えた。
なんだ、それなら僕が下取りよりちょっとだけ高く買い取ったのに、といいそうになってやめた。上手くいえないけれど、ポルシェ好きは夢を叶えるためにそうやってこつこつと自分の階段を上るべきだ、と思ったからだ。
ゲイバー色の968をもし僕が手に入れたら、あっという間に塗り替えてしまっただろう。今だったらフィルムか。色なんてどうでもいい。
それよりもポルシェの究極のFRだ。きっと良かったに違いない。車雑誌に洗脳された中川は911こそが最後のポルシェだ、と思い込んでしまったのだ。
それでも中川は満足そうだった。ようやくポルシェを手に入れた、という感じだった。944だって968だって立派なポルシェだ、といくらいっても、そうですよね、なんて答えても、心の中では911だけがポルシェだったのだと思う。
あの911とは何年間暮らすことができたのだろう。15年か、20年か。膵臓癌が見つかったのは苗場でのコンサートが終わったあと。
苗場ではどこも悪い感じはなかったのに、突然見つかって、しかもその場で余命半年、と宣告をされたと聞く。酷な話である。結局中川は治療を選択せずに、何もしない生き方を選んだ。
かなり最後まで911はそばにあったらしいが、いよいよ弱ってきて売却をしたらしい。結構高い値段で売れた、と親しい人に漏らしていたらしい。
944から始まり、ついに911にまで上り詰めた中川がどんな気持ちで車を手放したのか、と考えるだけで心が苦しい。
僕が苗場のあとで彼と会うのは彼の葬式の場だ。そう、誰からも何も聞かされなかったのだ。棺桶に花を添えるときに、こんなに鼻筋が通ったやつだったっけ? と思った。
あれから3年。中川を思い出すとき、最後まで一緒にいた911ではなく、僕はどうしてもパープルの968を思い出してしまう。
音楽プロデューサー/作曲家
松任谷正隆
1951年、東京都生まれ。音楽プロデューサー、作曲家、アレンジャーとして活動。音楽学校「マイカ・ミュージック・ラボラトリー」の校長も務める。一方でモータージャーナリストとしても日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、「CAR GRAPHIC TV」のキャスターと多彩に活躍中。
※カーセンサーEDGE 2019年1月号(2018年11月27日発売)の記事をWEB用に再構成して掲載しています
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