フィアット アバルト750 レコード モンツァ ザガート ビアルベーロ

これから価値が上がっていくだろうネオクラシックカーの魅力に迫るカーセンサーEDGEの企画【名車への道】

クラシックカー予備軍モデルたちの登場背景、歴史的価値、製法や素材の素晴らしさを自動車テクノロジーライター・松本英雄さんと探っていく!

松本英雄(まつもとひでお)

自動車テクノロジーライター

松本英雄

自動車テクノロジーライター。かつて自動車メーカー系のワークスチームで、競技車両の開発・製作に携わっていたことから技術分野に造詣が深く、現在も多くの新型車に試乗する。「車は50万円以下で買いなさい」など著書も多数。趣味は乗馬。

“魔術師”アバルトが手がけた、ビアルベーロエンジンの“サソリ”

——今回は、以前から松本さんが「お店の前を通るたびに良い車が置いてあるから頼んでみてよ」って言ってた1台です。フィアット アバルト 750なんですが……、自分には価値があまり分からなくて……。

松本 フィアット アバルト 750といってもいろいろあるからね。まずその話からかな。

——お願いします!

松本 ある程度知識のある人であればベルリーナベースの750 デリヴァツィオーネを考えるだろうし、ダブルバブルのルーフでカロッツェリア ザガートが架装した、フィアット アバルト 750GT ザガートとかが知られているかな。それと洗練されたボディとなったフィアット アバルト 750 レコード モンツァ ザガートなんかもあるよね。

——なるほど。名前すら聞いたことありませんが……。ちなみに松本さんはどれに乗ったことがありますか?

松本 フィアット アバルト 750 デリヴァツィオーネのプリマセリエのオリジナル以外は乗ったことあるよ。個人的にも20年くらい前に1955年のフィアット 600プリマセリエを所有していたからね。

——え? そんな話、初耳ですけど?

松本 そうだっけ? その車は後にアバルトというブランドが大きく羽ばたくきっかけとなった量産モデルでね。そのプラットフォームを使った車たちが、数々のレースで活躍したんだよ。その中でもザガートと一緒に作った小さいアルティメットモデルは1950年後半から人々に知れ渡って世界で名を上げていったんだよ。

 

フィアット アバルト750 レコード モンツァ ザガート ビアルベーロ
フィアット アバルト750 レコード モンツァ ザガート ビアルベーロ

——逆に言えばそれまでは知られていなかったんですか?

松本 いやいや、そんなことはないよ。カルロ・アバルト氏はレーサーとしてチューニングを行うマシンコンストラクターとして知られていた存在なんだ。彼は優れたセンスを持ったエンジニアで、オーストリアのポルシェ設計事務所で働いていたんだ。その優れた才能から、君も知っていると思うけどVWグループを帝国と呼ばれるまでに築いたフェルディナント・ピエヒ氏の父親がオーストリアからイタリアに移住させたんだよ。

——なんで移住させたんですかね? そのままポルシェ事務所にいても良かったんじゃないですか?

松本 これはポルシェの息子のフェリー・ポルシェの自叙伝に記載されていたんだけど、カルロ・アバルトはユダヤ系でね。当時迫害を恐れてイタリアに移住したそうなんだ。ピエヒのお父さんやお母さんのフェルディナント・ルイーズ( Dr.ポルシェの娘)が手助けしたそうなんだよね。いい話だよね。優秀なエンジニアに国境はないという考え方が実に素晴らしいよ。だからこそ、アバルトはポルシェに敬意を持っていたんだと思うよ。その後、彼はポルシェ設計事務所で培ったノウハウと自分自身のアイデアを導入して様々なモデルを発表したんだ。魔術師と言われるルーツが、まさにここにあるんだ。

——そういう関係性だったんですね。

松本 しかも、ポルシェといえばVW ビートルをはじめリアエンジン・リアドライブのRRが有名だよね? だからこそフィアット 600を見た途端に、蓄積したノウハウがよみがえったと言ってもいいと思うよ。

——あれ? 松本さんが乗ってたフィアット 600 プリマセリエってのはアバルトではないんですか?

松本 買った車は違うよ。で、本国にアバルト750キットっていうのがあるのを知っててね。フィアット アバルト 750 デリヴァツィオーネにとても憧れていたから、それを取り寄せて自分でプリマセリエに組み込んだんだよ。

——またすごいことをしてますね……。

松本 素晴らしい車だったんだよ。排気量は747ccになってね。カムシャフト、ピストン、クランクシャフト、アルミのオイルパン、極めつけはピニオンとリングギアまでABAという打刻が入っていたんだ。しかもシリンダーヘッドボルトも10mmから12mmの大きさに変更してね。ボルト頭には“ABARTH”の刻印が入っていたよ。9/41のファイナルから5800回転で148km/hをもくろんだんだけどそこまでパワーが出なかったなぁ(笑)。

 

フィアット アバルト750 レコードモンツァ ザガート ビアルベーロ

——おかしな人とは思っていましたがそこまでとは……。で、今回紹介する750 レコード モンツァ ザガート ビアルベーロがこちらです。これはどういう車になるんですか?

松本 僕が初めて乗せてもらったレコードモンツァ ザガートはOHVのユニットだったんだ。

——え? そんな仕様もあったんですか?

松本 そうだよ。この車はビアルベーロ(DOHC)なんだ。これがまたすごいし、価値があるんだよ。

——構造がすごいということですか?

松本 フェラーリのエンジン設計で有名なジョアッキーノ・コロンボ氏が設計したDOHCなんだよ。カム同士の間にマニホールドがあってね。そこにキャブレターが2基装着してあるんだ。それ以前のフィアット アバルト 750GT ザガートは5800回転で43馬力だったけど750 レコード モンツァのビアルベーロは7000回転で57馬力だからね。

——当時としたらすごい数字の違いになりますよね?

松本 相当なチューニングをしてあるのがわかるよね。他にもレコード モンツァの特徴としては、サイドの曲面ウインドウとリアのフードだね。新しさだけでなく、空力的性能の高さが伝わってくるよね。

——取材前から物々しい雰囲気は伝わってきましたけど、そういう希少な仕様なんですね。こういう個体がまだ日本にあることがすごいですよね。

松本 そうだね。以前、イタリアに行ったときに、アバルトが組み上げられていたトリノのコルソ・マルケ38番地を訪れたんだ。ここは後年ランチア デルタS4やアルファ ロメオのDTMなどのレース部門の中枢だったところ。僕が行ったときは建物や雰囲気は当時のままだったけど、残念ながらアバルトはなかった。でもね、かつて魔術師がいた場所を時代は違っても共有できたことは今でも貴重な体験だったと思っているんだ。

——うーん。深い話ですね……。

松本 ポルシェはこの大柄な魔術師を本当は使いたかったと思うんだ。そして、イタリアに住んだからこそ、こういう素晴らしい車を作ることができて、今も世界中にサソリに毒を盛られた熱狂的なアバルトファンを生み出しているんだと思うんだ。

 

フィアット アバルト750 レコード モンツァ ザガート ビアルベーロ

速度記録に挑むレコードカーのために開発されたビアルベーロ(DOHC)エンジンを搭載、ボディパネルにアルミを用いたエクステリアはザガートが制作している。1958年10月のパリ・モーターショーでデビューの後、その高いスペックで欧州各国のレース(GT750ccクラス)を席巻した。

フィアット アバルト750 レコード モンツァ ザガート ビアルベーロ
フィアット アバルト750 レコード モンツァ ザガート ビアルベーロ

※カーセンサーEDGE 2023年7月号(2023年5月26日発売)の記事をWEB用に再構成して掲載しています

文/松本英雄、写真/岡村昌宏