RX-7の最終モデル「FD型」の生産が終了してまもなく5年が経過する
しかし、先代モデルの「FC型」とともに依然としてその人気は高い
なぜセブンはこれほど人気があるのか?土屋圭市氏とともに、その理由に迫る!
外車に憧れていたオレに日本車って凄いぜ!と教えてくれた by土屋圭市
[1985.9~1991.11]
右肩上がりのバブル経済の最中に登場したFC。3世代の中ではラグジュアリィな装備も多く設定し、オープンモデルも用意するなどスペシャリティ色の強いモデルとなっている。そんなFCとは一体どんなモデルだったのか
乗り比べてみて凄さを実感した

FCのRX-7って、オレがちょうどプロになっていろんな車に乗れるようになったときに登場したんだよね。
  子供の頃って外車に憧れていた。フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニなどのスーパーカー。そんな車たちのステアリングを握れて乗り比べられるようになったんだ。でもそこでカルチャーショックを受けたんだよ。ポルシェやフェラーリよりもFCのほうが速いf国産車ってこんなにイイのってね。
  例えば、100km/hで曲がれるコーナー。ポルシェやフェラーリはキチンと曲がるのにまるでピアノ線を綱渡りするような特別な技術が必要だった。でもねFCはハンドルを切ったままニュートラルで、スーっと曲がっていけちゃうんだよね。

荷重移動が簡単で誰でも扱える
 当時、FCのデザインがポルシェに似ているなんていわれたりしたけど、中身はまるで別物だよ。前後50:50という抜群の重量バランス、車両重量の軽さ。高い運動性能を発揮させる工夫が随所に見られる。
  この時代の車ってフットブレーキに頼ってフロントに荷重をかけてコーナーを曲がるんだけど、フェラーリは繊細なタッチが必要だったのに、FCはオレでも簡単に荷重をかけられたんだよね。オレに日本車ってイイものだfとFCは実感させてくれた車だよ。




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  モデル変遷
 
    1985年9月
FC3Sデビュー 最高出力185psを発生する13Bインタークーラーターボエンジンを搭載した、サバンナRX-7が登場。新開発のトーコントロールハブ付きマルチリンクサスペンションを後輪に採用し、回頭性と安定性を両立させている
  1986年6月 グレ-ド追加
最上級グレード「GT-リミテッドスペシャルエディション」を追加設定
 
1986年8月 特別仕様車発売
特別仕様車「∞(アンフィニ)」を300台限定発売
 
1987年1月 特別仕様車発売
特別仕様車「∞(アンフィニ)」を300台限定発売

1987年8月
カブリオレ発売
サバンナRX-7カブリオレを追加

1988年1月 特別仕様車発売 特別仕様車「∞(アンフィニ)」を300台限定発売カブリオレにヘッドレストスピーカー装着車を設定

1988年8月
特別仕様車発売
特別仕様車「∞(アンフィニ)」を300台限定発売

  1989年4月 MC 外観を変更するとともに、ツインスクロールターボの採用や圧縮比のアップでエンジンの出力を205ps(+20ps)と向上させた。スタビライザーの接合部のパーツを変更し、操縦安定性を向上させた

  1989年9月 特別仕様車発売 特別仕様車「∞(アンフィニ)」を600台限定発売

  1990年2月 特別仕様車発売 特別仕様車「∞(アンフィニ)」を550台限定発売

  1990年6月 一部改良
55タイヤの装着と装備及びボディカラーを変更

  1990年6月 特別仕様車発売 特別仕様車「∞(アンフィニ)」を600台限定発売

  1991年2月 特別仕様車発売 特別仕様車「∞(アンフィニ)」を300台限定発売

  1991年8月 ウィニングリミテッド
限定発売
特別仕様車「ウィニングリミテッド」を1000台限定発売

  1991年11月 生産終了
 
          1992年8月 カブリオレ
特別仕様車「カブリオレファイナルバージョン」を発売
先代のSAに比べて、ボディは一回り大きくなったが、前後50:50の抜群な重量バランスをキープし、高い運動性能を実現
8回にわたって設定された特別仕様車の∞。アルミボンネットの採用や2シーター化で軽量化を図り、走行性能を高めた
ロータリーエンジン発売20周年を記念して発売された2シーターのカブリオレ。ソフトトップは電動開閉式を採用する
1989年のMCで外観の変更とともに、タービンの変更でエンジンの出力をこれまでの185psから205psへとアップしている
ル・マン24時間レースの優勝を記念して発売されたウィニングリミテッド。GT-Rをベースに走りの装備を充実させた
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ARTA エグゼクティブアドバイザー
土屋圭市
1977年にレース活動を開始
派手なテールスライドから「ドリキン」の名称で数多くのファンを獲得する
グループAやル・マン24時間などのビッグレースで活躍し、
2003年勇退D-1GPを旗揚げするなどモータースポーツの普及に務める
 
Report/萩原文博 Photo/桜井健雄
※この記事は、カーセンサー関東版14号(2007年7月5日発売)の特集をWEB用に再構成したものです