マセラティ▲2024年4月にイタリアで開催された電動化の未来を祝うイベント「フォルゴーレ・デー」。BEVモデルであるフォルゴーレが飾られた

スーパーカーという特殊なカテゴリーはビジネスモデルとして非常に面白く、それ故に車好きにとって興味深いエピソードが生まれやすい。しかし、あまりにも価格がスーパーなため、多くの人はそのビジネスのほんの一端しか知ることができない。今回は電動化を進めるモデナのハイパフォーマンスカーブランド「マセラティ」の経営危機による資本提携の可能性について紹介してみよう。
 

フツウの車とは全く異なる“スーパーカービジネス”

マセラティはモデナエリアのハイパフォーマンスカーブランドの中ではすでにBEVをラインナップし、フォーミュラEにも率先して参加している唯一のブランドとなる。2030年には完全電動化をうたっており、近々、MC20フォルゴーレ、つまり完全電動モデルも登場すると発表されている。まもなくグレカーレ、グラントゥーリズモ、グランカブリオ、MC20というフルラインナップが完全電動化する。

マセラティの起源は今から110年前。マセラティ兄弟による“エンジン屋”レースコンストラクターとして誕生した。そしてマセラティは絶えずユニークな試みを追求するという、ブランドのDNAを持っていた。エンジニア、ドライバー、セールスマン、どの分野でも天才的能力を発揮したアルフィエーリ・マセラティ率いる総勢わずか10数名のファクトリーが、メルセデス・ベンツやブガッティなどの大メーカーを打ち破ったのだから誰もが驚愕した。1929年には、V8エンジンを2基マウントした、V16気筒ツインスーパーチャージャーエンジン搭載のグランプリカーが世界最高速度記録を樹立したし、FFのグランプリカーの開発も行った。そういった意味では、“新しもの好き”の伝統がある。

残念なことに金勘定とブランドPRにおいては、その才能があまり発揮されなかったようだ。活動を組織化できなかったし、控えめなパーソナリティは自らをアピールすることをちゅうしょさせた。それは、少し遅れてスクーデリア・フェラーリをスタートさせたエンツォ・フェラーリのやり方とは全く異なっていた。だが、そんな少し控えめなブランドDNAを愛す人々も多く、マネージメントが幾たび変われども、マセラティはユニークな存在として生き続けている。
 

マセラティ▲イタリア・モデナにあるマセラティ本社。ちなみに創業の地はボローニャであった

そんな長い歴史を持つマセラティが今、危機に立たされている。販売不振から工場のレイオフが行われ、故セルジオ・マルキオンネ時代に鳴り物入りで投資が行われたマセラティ・イノベーション・ラボ、グルリアスコ工場は閉鎖された。現在、リソースの縮小中なのである。これはマルキオンネ時代からの拡大政策のゆがみとみることもできるし、現ラインナップの価格戦略の失敗ともとらえることはできるであろう。そんな危機の中で、2005年までグループ企業としてともに活動したフェラーリの名前がパートナー候補として再び浮上している。

マセラティのマネージメントに尽力したセルジオ・マルキオンネ亡き後、マセラティの母体であるFCA(フィアット・クライスラー・オートモビルズ)はフランスメーカーとの合併を模索した。その結果、FCAとグループPSA(プジョー、シトロエン、DS、オペル、ボクスホール)との交渉が始まったのだ。2021年1月16日には経営統合が成立し、寄り合い所帯のステランティスN.V.が誕生した。マセラティはグループ内唯一のラグジュアリーブランドとして、これまでと同様に他ブランドとは独立した立ち位置が維持された。例えば日本のセールスネットワークは、基本的にステランティスジャパンに統合されたが、マセラティはこれまでどおりマセラティジャパンという独立した組織がオペレーションを行っている。
 

マセラティ▲2018年に急逝したセルジオ・マルキオンネ氏(写真右)。こちらは2010年のジュネーブショーでの1コマ
マセラティ▲イタリアでの開発拠点であったマセラティ・イノベーション・ラボ

この状況にはある種の既視感がある。1960年代終わりにシトロエン傘下となった時代もあった、というのがひとつ。そしてもうひとつは、アレッサンドロ・デ・トマソ死去とともに新たな親会社となったフィアットによるマネージメント期の混乱だ。デ・トマソ体制を受け継いだ当時のフィアットオートは、少量生産スポーツカービジネスをうまくマネージメントできなく、じり貧となってしまった。やはりこのスーパーカーの世界というのはプロジェクトの始まりから販売まで、すべてがフツウの車とは全く異なる世界にあるのだと思う。つまり、シトロエンの場合もそうだが、大企業の中でうまくマネージメントが進まなかったのだ。

そこで、1997年に同じフィアット・グループ内のフェラーリ傘下へとマセラティを移管した。ルカ・ディ・モンテゼーモロの号令下、順調に改革は進み利益体質が改善された。2005年には再びフィアット・グループへと戻るが、これはフェラーリとマセラティを縦断してマネージメントを行う、マルキオンネという超法規的人物がいたから成立したもので、基本的姿勢は変わらなかった。
 

マセラティ▲電動フォーミュラカーによるワンメイクレース「フォーミュラE」に初年度から参戦するマセラティ MSGレーシング
マセラティ▲「フォルゴーレ・デー」でワールドプレビューを果たしたグランカブリオ フォルゴーレ

こういった企業の資本形態に関わるハナシはそう簡単にオープンにされるものではないから、どのような結末になるかは現時点では全くわからない。言えることは、マセラティのブランド価値はそれなりに今も高いということだ。それに技術もある。マルキオンネは早い時期からBEVへ向けての技術開発の拠点としてマセラティに投資したから、彼らの電動化技術は一夜漬けのものではない。

“もしトラ”ならぬ“もしフェラーリ”であるなら、これはフェラーリにとっても悪いハナシではないはずだ。かつてのフェラーリ&マセラティグループ時代と違って、今のフェラーリは資金的にも生産面においてもそれなりの規模になっているから、マセラティを支えることはできなくないであろう。企業規模を一気に拡大できて、それに加えて前述した電動化の技術も上手く共用できるのであれば、なかなか良いコラボレーションではないだろうか。そして、何よりも両者のバックボーンには、イタリアの自動車業界をいまだ牛耳るアニエッリ家が構えているのだから。
 

文=越湖信一、写真=マセラティ
越湖信一

自動車ジャーナリスト

越湖信一

年間の大半をイタリアで過ごす自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。