フェラーリ 12チリンドリ▲日本でも6月にお披露目された、6.5L V12自然吸気エンジンを搭載するフラッグシップ「12チリンドリ」

スーパーカーという特殊なカテゴリーはビジネスモデルとして非常に面白く、それ故に車好きにとって興味深いエピソードが生まれやすい。しかし、あまりにも価格がスーパーなため、多くの人はそのビジネスのほんの一端しか知ることができない。今回は、熱心なファンと投資家の双方を納得させる、フェラーリのストラテジーの一端を紹介してみよう。
 

F1に合わせた新車発表で文化まで“広告”

さすがフェラーリ。彼らは相変わらず抜群のストラテジーを実践していることを痛感している。

マイアミF1にタイミングを合わせた12チリンドリのローンチでは、マッシモ・ボットゥーラがフェラーリマネージメントのエンリコ・ガリエラとともに車の紹介をした。世界で最も予約の取れないレストランであるオステリア・フランチェスカーナのオーナーシェフである彼は現在、リストランテ・カヴァリーノのマネージメントも行っている。彼らはこのマイアミに出張し、何と500名のガラディナーを担当した。なかなかボットゥーラの料理にありつくことのできない北米のフェラーリファンは大喜びであった。

単にニューモデルの発表だけでなく、F1、そしてイタリア食文化のプレゼンテーションも加わり、ローンチイベントはとても印象的なものとなった。ボットゥーラ自身も多くのフォロワーをもつSNSにて「僕も12チリンドリのオーダーを入れたよ。クーペ、スパイダーどちらにだって? もちろん両方さ!」などと広告塔としても完璧な仕事をこなす。もっとも彼はマイアミに直営リストランテのトルノ・スビトをオープンするから、その良いプロモーションともなったという裏事情もあるのだが……。
 

フェラーリ 12チリンドリ ▲812コンペティツィオーネで最後とも噂されていたV12自然吸気エンジンをフロントミッドに搭載する“フェラーリの本流”。クーペのリアはデルタウイングシェイプと呼ばれるルーフの一部をブラックとした個性的なデザインを採用
フェラーリ 12チリンドリ スパイダー▲クーペと同時発表されたスパイダー。同時発表はV12を搭載したフラッグシップとして初となる

さて、発表された12チリンドリであるが、近年、フェラーリV12フラッグシップはかなり攻めているが、このモデルはさらにアグレッシブな1台だ。この時節、逆に魅力を高めているV12自然吸気エンジンというスペックはファン心理に大きく刺さる。また、スタイリングもデザイン・トップのフラヴィオ・マンゾーニが語ったように“1970~1980年代のSFをイメージ”する新しいトレンドが見られる。

これまでのフラッグシップと比較するなら、懐古的なイメージが薄れ、新しいデザイントレンドを創ろうという意欲を感じさせられる。フロントエンドのブラックラインやノーズのアングルなど、誰が見ても365GTB4デイトナへのオマージュであることは連想されるが、プレゼンテーション・ワードとしては一切出てこない。あくまでも新しいデザイン・フィロソフィーを創るということを強調しつつも、フェラーリのヘリテージをさりげなく感じてほしいということなのだろう。

日本のローンチに登場したプロダクト・マーケティングトップのエマヌエレ・カランドは「リアエンドの新しいソリューションの美しさを見てほしい。このスタイリングがフェラーリデザインのマスターピースとなると自信をもって言えます」と語った。確かにこの造形はユニークであり、筆者にも刺さった。クーペとスパイダーではかなりテイストが異なるから、富裕ユーザーたちが「両方頼んでおこうか」となることを見越したのか(笑)。

従来はクーペが発表されてから1~2年のインターバルをおいてスパイダーが発表されていたが、今回は同時発表だ。これは、フェラーリとして初の取り組み。スパイダーのエンジニアリング開発がことのほか順調に進んだためというのもその理由のようだが、マーケティング面での戦略もあるようだ。つまり、顧客はクーペの後に時間差でスパイダーが発表されることを理解しており、それがマーケティング的効果をあまりもたない(=両モデルを手に入れるという原動力にはなり得ない)ということで、方向転換したということだ。

ローンチイベントでは創始者であるエンツォのインタビュー動画が多用され、“フェラーリは12気筒である”というフィロソフィーを現人神でもあるかのように私たちに語りかけた。やはりこの迫力に勝るものはない。誰もがこの12チリンドリのプレゼンテーションに納得して会場を後にしたのだった。
 

e-ビルディング▲6月に落成式が開催された、マラネッロの新プラント「e-ビルディング」
e-ビルディング▲「e-ビルディング」では内燃エンジン、ハイブリッドユニット、電気モーターの生産・開発が行われることになっている

一方で、6月21日にはマラネッロの新しいファシリティであるe-ビルディングのお披露目を行った。このファシリティは一言で言えば、“フェラーリはサステナビリティに最大限の敬意を払っていますよ”という意思表示そのものである。環境に配慮された新しいビルディングの中ではバッテリーのスタックから各種電動化のデバイス製造などフェラーリ電動化への指令棟であり、製造拠点となるワケだ。

12チリンドリにおいて創始者エンツォのコトバを借りつつ“フェラーリはV12がDNAである”と語り、熱烈なファンたちを安心させながら、e-ビルディングのお披露目で「安心してください、私たちはちゃんと未来を見据えていますよ」と投資家たちにも語りかける……。

さすがはフェラーリである。だから株価も上がり続けるのだ。
 

文=越湖信一、写真=フェラーリ・ジャパン
越湖信一

自動車ジャーナリスト

越湖信一

年間の大半をイタリアで過ごす自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。