ランボルギーニビジネス▲ピニンファリーナが手がけたフェラーリの代表モデルといえばテスタロッサ。左右のドアに入れられたエアダクトはV8モデルに受け継がれていく

スーパーカーという特殊なカテゴリーはビジネスモデルとして非常に面白く、それ故に車好きを喜ばせるエピソードが生まれやすい。しかし、あまりにも価格がスーパーなため、多くの人はそのビジネスのほんの一端しか知ることができない。スーパーカーブランドの代表格であるフェラーリは、長きにわたりピニンファリーナと強固な関係を作って、ともに発展してきた。その歴史を振り返ってみたい。
 

カロッツェリアとは一体どんな会社でどんな仕事をこなすのか

フェラーリのロードカーのデザインといえばピニンファリーナが手がけるもの、という蜜月期が終わりを告げて10年以上の月日が流れた。8気筒の458イタリア、初のAWDモデルであるFF、そしてフェラーリ スタイリングセンターとピニンファリーナのコラボレーションで完成したと発表された2012年のF12ベルリネッタを最後に、フェラーリのスタイリングにピニンファリーナが関わることは表向きはなくなった。

ピニンファリーナとはイタリアを代表するカロッツェリアであり、エンツォ・フェラーリの戦略により1957年あたりを境に、フェラーリと競合するブランドのスタイリング開発を手がけることはなかった。一方、フェラーリも(原則的に)ロードカーのスタイリング開発はピニンファリーナに独占的に任せるという密約がかわされ、長きに渡ってその約束は守られてきた。そのため、それまでピニンファリーナにスタイリングを任せることもあったマセラティは、それ以降彼らに発注することが叶わなくなったのだ。

そもそも、カロッツェリアとはなんであろうか?

日本ではダッシュボードにカーAVメーカーの「Carrozzeria(カロッツェリア)」が鎮座していることがあり、それに驚く人が多いという車好きイタリア人の古典的な小話がある。イタリアにはどんな小さな街にも「カロッツェリア」があった。カロッツェリアとは馬車や列車「Carozza」を製造する所という意味のイタリア語がその語源だ。英語で言えばコーチビルダーとなる。イタリア鉄道の客車に「Carrozza1」などと表示されているのをご覧になられた方もいるかもしれない。日本では馴染みのない言葉なので、カーナビにその名前が付いていても驚く人は少ない。

かつてはシャシーの上にエンジンやトランスミッション、サスペンションなどを自動車メーカーが組み付け、それがカロッツェリアへと送られていた。そこではシャーシの上にボディ、インテリアなどを組み付け、再び自動車メーカーへと戻された。そして、そこから顧客の元へとデリバリーされたのだ。カロッツェリア専属、もしくはフリーランスデザイナーがボディのスタイリングを描き、必要なボディを製造しペイントなどのフィニッシュまで仕上げる作業を行ったのがカロッツェリアなのだ。

特にイタリアのカロッツェリアは「早い、安い、上手い」と大人気であり、ブランド化した。ベルトーネ、ピニンファリーナ、ギアなどのトリノ系、ザガート、トゥーリングなどのミラノ系など、それぞれが特徴をもった仕上げを行ったのだ。ボディ製造工場を併設したデザインオフィスがいわば”本家”カロッツェリアであり、ボディ修復などを行う町工場も、総じてカロッツェリアと呼ばれたというワケだ。
 

ランボルギーニビジネス▲美しいクーペだけでなく、シューティングブレイクという新しいスタイルも生み出した両社のコラボ。FFのデザインはその後、GTC4ルッソとして販売された

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フェラーリ FF × 全国
ランボルギーニビジネス▲現時点で、ピニンファリーナが手がけた最後のフェラーリとなるF12ベルリネッタ。ファンとしてはコラボの復活を望みたいところではあるのだが……

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フェラーリ F12ベルリネッタ × 全国

いかにして両社の関係は強固になったのか

1960年代以降、自動車産業は大きく変化した。大量生産の時代となり多くの車はシャシーとボディが一体化したモノコックボディ構造となり、それにともなってカロッツェリアの役割も少し変わってきた。ボディ製造は自動車メーカーが独自で行うようになったから、メーカーへのスタイリングの提案に特化し、製造には関わらなくなったカロッツェリアもあれば、自動車メーカーの比較的ニッチなモデルの製造を請け負ういわば小さな自動車メーカーとなったカロッツェリアもあった。前者の代表例が、この流れを読んでジウジアーロが設立したイタルデザインであり、後者はピニンファリーナ、ベルトーネなどであった。

この時代、レースカーのシャシーにラグジュアリーなボディを載せたフェラーリのロードカーは北米富裕層の間で大ブレイクしていた。

中でもピニンファリーナのシンプルな曲線を生かしたスタイリングはエキゾチックなイメージを醸しだし、ターゲットである富裕層に刺さった。それにピニンファリーナはカロッツェリアの中でも比較的キャパシティの大きな製造施設を抱えていたから、その点でも好都合であった。さすが、商売上手のエンツォ・フェラーリ。さっさと前述のような取り決めを行い、彼らを独占してしまったのだ。

ピニンファリーナにとっても悪いハナシではなかった。スポーツカーの最高峰であるブランド御用達と名乗れるワケである。彼らはこの関係性をセールストークとして各国のトップメーカーの仕事を請け負った。ピニンファリーナは基本的に一つの国に対して一つのクライアントと契約を進めた。例えばフランスはプジョーであり、日本では日産(後にホンダ)である。

フェラーリとピニンファリーナの関係性は、フィアット傘下入りしたフェラーリ、またフェラーリ傘下となったスカリエッティとの関係、はたまた両社の間に割り込んできたベルトーネやイタルデザインなど、なかなか興味いハナシが満載だ。次回はそのあたりに触れてみよう。(後編に続く)
 

ランボルギーニビジネス▲デイトナと並ぶ代表車である512BB。美しいスタイリングは世界中の車好きを虜にし、日本ではスーパーカーブームの要因にもなった

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フェラーリ 512BB × 全国
ランボルギーニビジネス▲V8フェラーリシリーズの始祖となる308もピニンファリーナの作品。その後、歴代V8モデルを担当し続け、458イタリアまでその系譜は受け継がれていった

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フェラーリ 308 × 全国
文=越湖信一、写真=フェラーリジャパン
越湖信一

自動車ジャーナリスト

越湖信一

年間の大半をイタリアで過ごす自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。