日本中が熱狂した! 名門レーシングコンストラクター“マクラーレン”の現在地【EDGE Motorsports】
カテゴリー: カーライフ
タグ: マクラーレン / F1 / MP4-12C / MP4-12Cスパイダー / P1 / アルトゥーラ / 750S / EDGEが効いている / 藤野太一
2024/03/16
F1、インディ500、ル・マンという世界三大レースを制したマクラーレン
マクラーレンは1963年、イギリス人のブルース・マクラーレンによって設立されたプライベートレーシングチームに端を発するブランドだ。マクラーレンはエンジニアとしてのみならず、レーシングドライバーとしての才能を発揮し、1966年より本格的にレース活動を開始。自らの名を冠したマシンを作り、F1への参戦を始める。
1968年のベルギーGPで優勝するなどドライバーとしても活躍していたが、1970年にテスト中の不慮の事故で亡くなってしまう。その後、テディ・メイヤーがチーム運営を引き継ぎ、F1において成功を収め、マクラーレンの座は揺るぎないものとなった。
1980年には、後のチーム代表となるロン・デニスが合流。1982年にメイヤーはチームを去る。
マクラーレンは日本とも深い縁がある。1988年のF1マシン、マクラーレン・ホンダ MP4/4はホンダエンジンを搭載し、アイルトン・セナとアラン・プロストという2大スタードライバーを擁し、16戦15勝という金字塔を打ち立てた。
翌年にはマクラーレン・ホンダ MP4/5がF1世界選手権において16戦10勝を記録し、ドライバー、コンストラクターズのダブルタイトルを獲得。
そしてマクラーレンとホンダの蜜月は、1992年のマクラーレン・ホンダ MP4/7Aでいったん終焉を迎える。
2015年、マクラーレンとホンダのコンビが復活することになる。しかし、マクラーレン MP4-30はトラブルが多発。コンストラクターズ選手権順位は10チーム中9位と惨敗。翌年に投入したMP4-31はマシンの性能は改善され、コンストラクターズランキングも前年の9位から6位に浮上した。
2017年にはシャシー名称が36年間継続した「MP4」から「MCL」に変更された。しかし、マクラーレン MCL32はトラブルが頻発。このシーズンをもってマクラーレンとホンダの提携は解消されることになる。ちなみにマクラーレンのF1マシンは、その後ルノー経て、現在はメルセデス製パワーユニットを搭載している。
一方、市販車開発の方では1990年に現在のマクラーレン・オートモーティブの前身となるマクラーレン・カーズを設立。そして、1993年に登場したのが、「マクラーレン F1」だ。
その後、1995年にはレース仕様であるマクラーレン F1 GTRがル・マン24時間レースに出場し、総合優勝を果たしている。ちなみにドライバーの一人が日本人の関谷正徳氏だった。2003年にはメルセデス・ベンツが「SLR マクラーレン」を発表。これは開発、生産をマクラーレン・カーズが請け負った。
2009年、マクラーレン・オートモーティブを設立、新工場を建設し本格的に市販車の開発に乗り出す。その初号機が「MP4-12C」だ。2013年には、916psを発揮する世界最高レベルのロードカー「マクラーレン P1」をリリース。
現在は、ビスポーク部門である「マクラーレン・スペシャル・オペレーションズ(MSO)」やGTレースカーの開発や製造を行う「マクラーレンGT」といった部門も設立されている。
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マクラーレン MP4-12C × 全国▼検索条件
マクラーレン P1 × 全国最新のラインアップとしては、「750S」やハイブリッドスーパーカーの「アルトゥーラ」、グランドツーリングカーの「GTS」などがある。また、「グランツーリスモ SPORT」に登場するコンセプトカーを実写化したハイパーカー「ソーラスGT」が発表されたが、限定25台はすでに完売という。
マクラーレンは、いまや量産スーパーカーメーカーで唯一SUVを手がけていないサーキット直系ブランドなのだ。