フェラーリ SP3▲2021年末に発表され、世界限定599台が即完売となったのがフェラーリ デイトナ SP3。約2億6000万円と非常に高価だが、多くの自動車好きは「即完売」を予想していたことだろう。このビジネスはなかなか真似できるモノではない
 

なかなか垣間見えるような世界ではないが、車好きならどうしてものぞいてみたくなる。それがスーパーカーの世界である。ではスーパーカーには定義はあるのだろうか? そもそも、なぜ少数生産なのにメーカーが立ち回れるのだろうか。
 

日本メーカーが不得意な少量生産ビジネス

少量生産のスーパーカーを作ることは誰にでもできることではない。そして、近年はさらに難しくなってきている。そもそも、日本をはじめとして現代の自動車産業では開発から製造、販売まですべてが大量生産を前提として成り立っているからだ。

2015年にホンダ S660がデビューしたが、その時ホンダはあらゆる革新的手法を導入して1日40台という「非常識」な少量生産を実現したとアピールした。だが、残念なことに昨年、生産中止がアナウンスされてしまった。要はこの程度の販売台数では、日々厳しくなるレギュレーションに対応するための開発コストを算段することが難しくなったということであろう。S660も少量生産車としてみれば、そこそこ売れているし、評価も高いのだが……。

しかし、「スーパーカーの聖地」であるイタリアでは、モデナ地区を中心に今もフェラーリやランボルギーニなどの極少量生産メーカーが大きな利益を上げ、それ以外にも幾つものプロジェクトが誕生している。

なぜこんなことが可能なのか。それは、この地域にスーパーカー開発のリソースが集結し、少量生産を可能にしているからである。販売価格も高価であり、会社の規模も小さいから、販売台数が少なくとも新規開発のためのコストを絞り出すことができる。ちなみに、先日発表されたデータによると、フェラーリは2021年に1万1155台を販売し、これは彼らにとって新記録となった。

ただ、こういった少量生産ビジネスが成立するのは、そういったハードウエア的側面によるものだけではない。ホンダには最新テクノロジーを導入したNSXというスーパーカーがラインナップされているが、残念ながらこのモデルも2022年をもって販売終了がアナウンスされている。

NSXは北米における開発・製造が行われたモデルであり、新車販売価格は2000万円台とフェラーリのエントリーモデルと重なるほどの高価なモデルだ。NSXが販売終了となるのは、販売台数が低迷し、将来的な展望が見えなかったためといわれている。こちらはメインマーケットと想定していた北米で売れなかったのだ。つまり、よく出来た車であるにも関わらず、残念ながら顧客はこのNSXに2000万円台というブランド価値を見いだすことができなかったのだ。
 

ホンダ S660▲2015年に発売された軽自動車の2座オープンスポーツであるホンダ S660。スポーツカーを愛するホンダの「らしさ」が詰まったモデルだが、残念ながら2022年3月にて生産終了

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ホンダ S660 × 全国
ホンダ NSX▲国産車初のスーパーカーとしてホンダが1990年に発売したNSX。当時、市販車では考えられなかったオールアルミモノコックボディなど、ホンダの技術が集約されていた。新車価格は800万~1500万円だった

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ホンダ NSX(初代) × 全国
ホンダ NSX▲ハイブリッドシステムを採用したスーパーカーとして、2016年に発売された2代目のNSX。3.5Lの直6ガソリン+ハイブリッドシステムを採用しシステム最高出力は581psを誇った。価格はホンダ車では最高額となる2370万円~

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ホンダ NSX(2代目) × 全国

肝心なのはブランディング

このブランディングという側面が、ライバルメーカーにはないイタリアンスーパーカーの大きなアドバンテージなのである。モデナのスーパーカーメーカーは、絶えずそのブランドの価値を高めるためのアピールを続け、少量生産スーパーカーを作るフィロソフィーを引き継いでいる。スーパーカーとは、作り手が自分で名乗るものではなく、顧客がそれを認めてくれて、初めて名乗れる世界観だからだ。厳しい話だが「良いモノを作れば評価される」という世界ではない、それが現実だ。

では、そもそも「スーパーカー」とは何であろうか? 筆者は拙著『フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング』にて、「スポーツカーであるが、レースカーではなく、ラグジュアリーなエクステリアとインテリアを持つ少量生産自動車」と定義した。

スーパーカーとは、普通の車とは一線を画した「異形の存在」であるということが最大の魅力であり、それこそが顧客の求めているものなのだと思う。エンツォ・フェラーリやフェルッチョ・ランボルギーニらの言動を、今も彼らが生きているかのように顧客へと伝え続けている。フェラーリがF1から撤退するのはメーカーを畳むときだろうし、ランボルギーニがフェラーリに対する対抗心を捨てることもないだろう。なぜなら、彼らはスーパーカーを欲する富裕顧客が何を求めているかを絶えず研究し続け、彼ら独自のブランド戦略を構築してきたからだ。

しかし、スーパーカーという単語は興味深い。自動車ファンの間では、世界各国でその意味は理解されるものの、日本においては際だって特別な意味を持つ。「エキゾチックカー」「ハイパフォーマンスカー」といった表現とは違った親しみ深い名称だ。なんと言っても、日本は世界で唯一、スーパーカーブームという日本全国の子供たちを巻き込んだ一大ムーブメントがあったのだから……。その中で、スーパーカーの起源といえば、やはりランボルギーニ ミウラではないだろうか?

次回、そのミウラについて、少し語らせていただこうと思っている。
 

レクサス LFA▲日本が誇るスーパーカーといえば、レクサスが2010年に限定500台生産したLFA。V10エンジンを積み、カーボン素材を使ったボディなど、性能面でも世界トップ水準だった。新車時価格は3750万円だったが、今現在中古車市場では高値を更新中。10年後には驚くような相場になる可能性もある
ランボルギーニ ミウラ▲100人の車好きが全員「スーパーカー」と認定する車は意外と少ないが、確実にその1台に含まれるのがランボルギーニ ミウラ。1966~1973年に発売されわずか747台だけが生産された、まさにスーパーカーのシンボルである
文/越湖信一、写真/フェラーリ、本田技研工業、レクサス、ランボルギーニ
越湖信一

自動車ジャーナリスト

越湖信一

新型コロナがまん延する前は、年間の大半をイタリアで過ごしていた自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。