マツダ AZ-1 ▲今回紹介するのはマツダの本格軽スポーツ・AZ-1

ABCトリオの一角を担う本格軽スポーツ
マツダ AZ-1

1989年の東京モーターショーでお披露目された「AZ550スポーツ」。

3タイプのプロトタイプが登場し、1992年10月にマツダの軽自動車販売ブランド「オートザム」からAZ-1として発売された。

AZ-1の他、ホンダ ビート(Beat:1991年5月発売)、スズキ カプチーノ(Cappuccino:1991年11月発売)と軽自動車のスペシャリティが出揃い「平成ABCトリオ」なんて呼ばれていた。

AZ-1は1993年からスズキに「キャラ」としてOEM供給されたのだが、面白いものでそもそもAZ-1のエンジンや足回りの一部はスズキから部品供給を受けていた。

搭載していたエンジンは排気量657㏄の水冷直3ターボで、これは同時期のスズキ アルトワークスと同じものだったし、カプチーノが搭載していたものとも同じ。

最高出力は数字で見ると大したことない64ps、最大トルクは8.7kg・mにすぎなかった。

ただ、全長3295㎜、全幅1395㎜、全高1150㎜と超コンパクトで車両重量が720㎏と軽量だったゆえに、そのパンチ力たるや驚かされるものだった。

最大の特徴は軽自動車で唯一、ガルウイング式のドアと外板パネルにFRPを多用したことだろう。

また、ガルウイング式ドアの上部(天井の一部を構成)は、光の透過率が30%に抑えられたグラスキャノピーデザインだった。

マツダ AZ-1 ▲AZ-1最大の特徴はやはりこのガルウイング式のドアだろう
マツダ AZ-1 ▲「平成ABCトリオ」は今でも多くのファンが存在する(左からAZ-1、カプチーノ、ビート)

クセが強めの乗る人を選ぶ車

エアコンこそ装備していたがパワーステアリングは装備せず、ABSでさえオプション設定、というスパルタンな仕様だった。駐車時には汗をかくこと必至。

当然、設定されるのは5速MTのみと乗り手を選ぶ車だった。

サイドシルはシートの座面よりも高く、乗り降りには慣れを要する。

超コンパクトボディであり運転しやすさはほぼ考慮されておらず、身長175㎝の筆者でさえ、ステアリングが膝に当たる。

ハッキリ言って、クセばかりが目立つ車だった。

フロントが軽いゆえに致し方ないのだろうが、速度が上がるにつれ直進安定性は悪化する。それどころか路面との接地感も乏しくなっていく……。

高速道路のわだちにタイヤを取られがちで、横にすっ飛ばされるような感覚に陥ることもたびたび……。

バケットシートゆえにリクライニング機能はなく、助手席に至っては前後スライドすらしない。

エンジンは真後ろにあるので、日常会話ができるのは40㎞/hくらいまで。

それでも……走行中にアクセルオフすると、“プシュー”というウエストゲートの開放音が聞こえ気分を高めてくれる。

軽自動車に乗っていることを忘れ、レースマシンを操っているかのような高揚感がある。

ステアリングのロック・トゥ・ロック(どちらかにめいいっぱい切った状態から反対側にステアリングを回せる回数)はたったの2回転半!

少ないほどよりスポーティといえるが、名だたるスポーツカーでも3回転ほどが一般的だから驚きだ。

走りだせばステアリングの重さは気にならず、クイックなステアリングからまるでゴーカートに乗っているかのような感触を味わえる。

いろいろ、指摘したいことはあれど、これほど非日常感を味わえる車もないのだ。

マツダ AZ-1 ▲パワステが装備されていないいわゆる“重ステ”仕様だった
マツダ AZ-1 ▲シートの位置は極めてローポジション! ガタイの良い人だと乗るのも一苦労だ

新車は不人気でも中古になるとレア車に!

残念ながら新車販売時はバブル崩壊と相まって、月間800台の販売目標には遠く及ばず……1995年12月に総生産台数4392台で販売終了となった。

そして、この手の車でありがちなのが新車時は不人気だったのに中古車になって見直されるという現象。

現在、多くが新車時価格(149万8000円)を上回る価格がつけられている。

また、マツダスピードのパーツを多用したスペシャルモデル「マツダスピード」や限定車「M2 1015」は総じて、高値安定している。

もはや、割安感はない車と言えるが、将来語り継がれること間違いない、スーパーカーである。

ちょっとでも気になった方は、中古車物件をチェックしてみてほしい!

マツダ AZ-1 ▲原稿執筆時(2019年9月30日)現在の掲載台数は15台ほど。今後、より希少になっていくことは間違いないだろう
文/古賀貴司(自動車王国)、写真/マツダ、編集部

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古賀貴司(こがたかし)

自動車ライター

古賀貴司(自動車王国)

自動車ニュースサイト「自動車王国」を主宰するも、ほとんど更新せずツイッターにいそしんでいる。大学卒業後、都銀に就職するが、車好きが講じて編集プロダクションへ転職。カーセンサー編集部員として約10年を過ごし、現在はフリーランスのライター/翻訳家として活動している。