【スーパーカーにまつわる不思議を考える】少量生産のスーパーカーブランド「パガーニ」がビジネスで成功した理由とは? 前編
カテゴリー: クルマ
タグ: クーペ / EDGEが効いている / 越湖信一 / c!
2022/06/18
世界には販売価格や台数から考えて、なぜビジネスが成立するのかが不思議な自動車メーカーが存在している。多くはもちろんスーパーカーブランドだが、その中でも歴史的に「新興」と呼べるパガーニもまた謎多き存在だ。ということで前編、後編に分けてその素性に迫ってみたい。
イタリアンブランドが結束して行われるビッグイベント
2022年の5月26日~29日までの4日間、スーパーカーの聖地であるモデナは多くの人々で賑わった。モーターヴァレーフェスト(Motor Valley Fest)と称すスポーツカーの祭典が開催されたのだ。
このモーターヴァレーフェストとは、北はパルマ近郊のダラーラ、モデナのマセラティ、マラネッロのフェラーリ、サンタアガータのランボルギーニ、ボローニャのドゥカティなどのブランドや、それらをサポートするサプライヤーがひしめく一帯を意味している。自分たちのブランドだけをプロモートするのではなく、地域全体で外部へ向けて「made in Italy」をさらに強くアピールしようと一致団結し、その魅力をアピールするというユニークなイベントなのだ。
各ブランドのファクトリーやミュージアムは期間中特別条件で開放されるし、街中には最新モデルやクラシックカーが展示される。聞こえてくる爆音が何かと思えば、世界トップレベルのクラシックフェラーリたちが、コンクールデレガンスから抜け出してメインストリートをパレードランしている。これはスポーツカー好きにはたまらない。そしてこのイベントでは、年間に数万台を販売するメーカーも数十台しか販売しないようなブランドも皆同列に扱われているとことも注目すべきポイントだ。
モーターヴァレーフェストで見かけた一人の男
それを象徴するような風景に筆者は出会った。
モーターヴァレーフェストで賑わうモデナ市街であるが、メインストリートのエミリア街道に面する小さな一角にも人だかりができている。値段が3億円とも4億円ともいうかなり特殊なモデルが並び、横にある販売スタンドでは、ブランド名華やかなTシャツや小物などが飛ぶように売れていく。なかなかじっくりと見ることができない希少なモデルを一目見ようという黒山の人だかりなのだ。その車の横で、にこやかに微笑む人物。なんとオラチオ・パガーニだ。彼のブランドであるパガーニのワンオフモデル、ウアイラNC、そして5台限定生産のウアイラ イモラの2台が無造作に並んでいる。
オラチオ氏も、年間数十台しか作らない極少量生産メーカーであるパガーニも、今やモデナの顔である。フェラーリやランボルギーニファンでパガーニの名を知らぬ者などいなく、モデナではフェラーリやランボルギーニに匹敵するほどの大きな発言力を持っている。1992年に誕生したまだ若いメーカーだが、世界中からそのニューモデルのウェイティングリストに自分の名前を載せようと大枚を懐に富裕顧客がやって来るのだから。
アルゼンチン生まれのオラチオ・パガーニは、幼少期よりスポーツカー作りの熱いパッションを持ち続け、同郷のファン・マヌエル・ファンジオとの知己を得ることに成功。それをバックに“私はランボルギーニで働くために生まれてきた”と強引にランボルギーニへと入社してしまう。そこで将来性があると見込んだコンポジット素材、つまりカーボンファイバー成形を徹底的に研究し、カウンタック25thアニバーサリーやディアブロなどの設計、製造に関わることに成功。続いて、独立しカーボンファイバー成形専門会社を設立するといった一連の流れは理想のスーパーカーを作るため、練りに練った彼の戦略であったのだ。
完全主義者の創始者が作ったビジネスモデル
カーボンファイバー成形の第一人者となったオラチオ氏は、その特性を生かした軽量・高剛性のセンターモノコックシャシーを開発し、複雑な造形のボディスタイルをもった宝石のような少量生産モデルの開発に成功した。エンジンは前述ファンジオ氏の伝手で、AMGから特別スペックのエンジンを1機から発注可能な好条件を得ることに成功。ちなみに、多くのメーカーは自社エンジンの外販には消極的であり、「欲しいなら100台まとめて買え、そして技術フォローは一切しないよ」というような、甚だ厳しい条件が一般的なのだ。そんな中でパガーニに対しては大盤振る舞いだった。
オラチオ氏の努力と、彼をサポートする人々のおかげで、奇跡のようなスポーツカーメーカーが誕生し、ついに第1号車ゾンダC12を発表したのは1999年のことであった。その第1号車を販売するにあたって、プロトタイプは何万kmもの路上テスト走行が行われた。オラチオ氏は、少量生産だからすぐに壊れるというようなエクスキューズをすることは許せない完全主義者であった。そして、その間はフェラーリF1パーツの下請けなどで凌いだのだった。
デビューを飾ったゾンダは絶賛され、人々はその先進性や卓越した動力性能、そして美しいボディをこぞって賞賛した。オラチオ氏は人生最高の瞬間を迎えたのだった。
ところが、そんな世間の反応にもかかわらず、全くゾンダには注文が入ってこなかったという。途方に暮れるオラチオ氏であったが、それはある販売店からの提案をきっかけに、様変わりした。注文が殺到し始めたのだ。(後編に続く)
自動車ジャーナリスト
越湖信一
新型コロナがまん延する前は、年間の大半をイタリアで過ごしていた自動車ジャーナリスト。モデナ、トリノの多くの自動車関係者と深いつながりを持つ。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの代表を務め、現在は会長職に。著書に「フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング」「Maserati Complete Guide Ⅱ」などがある。