ピーター・ライオン


車で我々に夢を提供してくれている様々なスペシャリストたち。連載「スペシャリストのTea Time」は、そんなスペシャリストたちの休憩中に、一緒にお茶をしながらお話を伺うゆるふわ企画。

今回は、「日本語でも原稿を書ける唯一の外国人ジャーナリスト」として、世界中の多くのメディアに寄稿するピーター・ライオンさんとの“TeaTime”。
 

ピーター・ライオン

語り

ピーター・ライオン

オーストラリア・パース生まれ。1983年に奨学生として日本に留学し、88年からモータージャーナリストに。「日本語でも原稿を書ける唯一の外国人ジャーナリスト」として国内メディアに寄稿するだけでなく、Forbes、Car and Drive(米)、Auto Express(英)、Yanko Design(米)などの有力誌にも新車情報や試乗記を執筆している。2014年に、外国人から見た日本の車文化を題材にした「サンキュー・ハザードは世界の'愛'言葉」上梓。ワールド・カー・アワード元会長、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員、ベスト・カーズ・オブ・ザ・イヤー賞審査員を務める

19歳で初めて訪れた日本。雪と歌謡曲に大感激

出身はオーストラリアのパース。西オーストラリアの州都だけど、自然が豊かで海も近くて、とても美しい町だよ。

高校の授業で外国語を習うんだけど、そのときに日本語を選択したんです。将来性があるかなあ、と思って。いま思えば正解だったね。

それで1979年、大学1年生の夏休みにホームステイで初めて日本に来た。青森から鹿児島までペンパル(ペン・フレンド、文通仲間)を訪ねながら旅をしたよ。

南半球のオーストラリアは夏だったけど、日本は真冬。東京から青森へ寝台列車で行ったときに、生まれて初めて雪を見て感動したね。

こたつでミカンを食べながら紅白歌合戦を見て、日本で迎えたお正月は忘れられない思い出。日本の歌謡曲も大好きになったね。

その年のレコード大賞はジュディ・オングの『魅せられて』で、他にも久保田早紀の『異邦人』とかサザンオールスターズの『いとしのエリ―』とかいい曲がたくさん。「日本はすごいなあ」と、歌謡曲を聴きながら日本語を覚えましたね。

ドリフト文化が海外に広まるきっかけに

車は子供の頃から大好きで、オーストラリアで免許が取れる17歳になってすぐ取った。できれば車関係の仕事をしたいと思っていたね。

それが実現したきっかけは、実は『カーセンサー』なんだ。1988年、当時のカーセンサー編集部の人がパースに取材に来て、そのコーディネーターの仕事をしたんだけど、そこから雑誌で連載をすることになり、いくつかの縁も重なって日本で仕事をすることになったというわけ。

その頃の日本車はすごく勢いがあって、「日本にいれば面白い仕事ができるぞ」と思った。最初は日本の自動車雑誌に寄稿していたんだけど、そのうちオーストラリア、イギリス、イタリア、アメリカの雑誌からも「日本車の記事を書いてくれ」と依頼が来るようになってね。

そういえばイギリスのテレビ番組が日本の自動車文化を紹介したいって撮影に来たとき、「車を横滑りさせて走る競技がある」とドリフトの大会に連れて行ったんだよね。

当時日本以外で「ドリフト」って言い方はなかった。だからドリフトという言葉は、僕を通じて初めて海外に発信されたと言えるかな(笑)。

日本に恩返しがしたくてサンタさんになったことも

今の日本車は80、90年代ほどの元気はないけど、やっぱり世界から注目されている。

僕は毎日のように新型車に試乗して、その車のいいところや悪いところを確認して記事を書いています。僕は「日本語でも原稿を書ける唯一の外国人ジャーナリスト」と言われているけど、30年以上書いていても日本語の原稿は難しいね(笑)。

本当は原稿を書くより車を走らせる方が好きかな(笑)。マツダの主催するロードスターのメディア対抗耐久レースには20年以上連続で出ているし、ドイツ・ニュルブルクリンクの「24時間耐久レース」にも出場した。

日本で仕事を始めてからもう34年。これからは恩返しというか、仕事や社会活動を通じてなにか貢献できたらと思っているんです。最近は、ボランティアで近所の幼稚園にサンタクロースの格好でプレゼントを配ったりもしました。

子供たちは「本物のサンタさんが来た!」って驚いていたけど、とても喜んでもらえて、僕も嬉しかったな。

ピーター・ライオン▲クリスマス会にサンタの衣装でサプライズ登場! 子供たちにも大人気だったとか(写真:本人提供)

そうそう、先日、地域の消防団に入りたいと思って消防署に相談したら「日本国籍がないと団員になれない」と言われてしまってガッカリ!

消防といえば、日本に来て初めて焼き芋屋の軽トラを見たときは驚いたよ。

荷台にオーブンを載せていて、炎が出ているし、煙突から煙が出ているし……。思わず「大丈夫!?」って消防署に通報しそうになっちゃったよ。

日本はなかなかミステリアスだね(笑)。

ピーター・ライオン
文/河西啓介、写真/阿部昌也
※情報誌カーセンサー 2022年9月号(2022年7月20日発売)の記事「スペシャリストのTea Time」をWEB用に再構成して掲載しています
河西啓介

インタビュアー

河西啓介

1967年生まれ。自動車やバイク雑誌の編集長を務めたのち、現在も編集/ライターとして多くの媒体に携わっている。また、「モーターライフスタイリスト」としてラジオやテレビ、イベントなどで活躍。アラフィフの男たちが「武道館ライブを目指す」という目標を掲げ結成されたバンド「ROAD to BUDOKAN」のボーカルを担当。