1992年からF1全戦を撮影するフォトグラファーの熱田 護さん「シューマッハ選手に怒られたときはかなり焦ったよ(笑)」
カテゴリー: トレンド
タグ: スペシャリストのTea Time / 河西啓介
2022/05/10
車で我々に夢を提供してくれている様々なスペシャリストたち。連載「スペシャリストのTea Time」は、そんなスペシャリストたちの休憩中に、一緒にお茶をしながらお話を伺うゆるふわ企画。
今回は、F1をはじめとするモータースポーツや市販車の撮影を行う、フォトグラファーの熱田 護さんとの“Tea Time”。
語り
熱田 護
あつた・まもる/1963年三重県鈴鹿市出身。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。1985年ヴェガインターナショナル入社。坪内隆直氏に師事し、2輪世界GPを転戦。1991年よりフリーランスとしてF1をはじめとするモータースポーツや市販車の撮影を行う。特にF1に関しては、1992年から全戦取材を続けている唯一の日本人カメラマンである。
近所の鈴鹿サーキットで2輪レースを撮っていた
生まれが三重県の鈴鹿なんですが、高校生の頃から写真を撮るのが好きでした。近所の鈴鹿サーキットで、よく2輪レースを撮っていましたよ。
大学生になって全国のサーキットで撮影しているとき、2輪レーサーの斎藤仁さんと出会い、その縁で『プレイライダー』という雑誌編集部でアルバイトをすることになりました。
当時2輪の世界GPは、スター選手も多くすごく盛り上がっていたんですよ。だから「ヨーロッパで世界GPを撮りたい」という気持ちが高まり、まだ学生でしたが後先考えずに行っちゃった(笑)。
すると「日本の若造がGPに来ているらしい」という噂が、僕の師匠で2輪レースカメラマンの第一人者である、坪内隆直さんに伝わり、「うちの雑誌で働かないか」と声をかけてもらったんです。
それで『グランプリイラストレイテッド』のカメラマンとして、ヨーロッパのGPを回る生活が始まりました。
シューマッハに怒られ「ベリー・ソーリィ」
F1を撮り始めたのは、80年代後半。その頃の人気はすごくて、当時は専門誌だけで20誌以上ありましたね。それまで2輪レース専門だったので、F1はアイルトン・セナとかアラン・プロストの名前ぐらいしか知りませんでした。
でも撮り始めたらどんどんセナに惹かれ、いつしかセナを追いかけるようになっていた。彼の格好よさ、雰囲気、佇まいは特別でした。
しかし、1994年、サンマリノGPの事故でセナが亡くなってしまったんです。レース直前、マシンのコックピットでスタートを待つセナを間近で撮っていたら目が合って、微かに笑いかけてくれた。
その直後、レース3周目で事故が起きてしまいました。ショックは大きく「自分の写真の中心にあったものがなくなってしまった」という喪失感を、2年ほど引きずっていましたしていましたね。
僕ね、一度シューマッハに本気で怒られたことがあるんです。あるレースのウオームアップ走行のとき、マシンを乗り替えようとしていた彼を撮ろうと近づいたら、カメラのストラップがマシンに引っ掛かり取れなくなっちゃった。
「ヤバイ! どうしよう」と慌てていたら、彼がマシンから降りて来て、僕の背中をドンドンドン!と。結構な力で叩かれました(笑)。
カメラマンとしてあり得ない失敗に、さすがに落ち込みましたね。次のレースで、シューマッハに「アイ・アム・ベリー・ソーリィ」と謝ったら、僕の肩を抱いて「なんでお前はいつもあんなに近くで撮るんだ?」と、優しく諭してくれました。あれがシューマッハ選手との一番の思い出ですね。
実はマイカーを持っていない今欲しい車は……
F1を追いかけ30年、コロナでヨーロッパに行けなかった2020年を除き、毎年全戦を現地で撮り続けています。
昨年はホンダがチャンピオンを獲得し、僕にとっても最高に嬉しいシーズンでしたが、コロナ禍で全戦回るのは本当にしんどかった。
シーズン中はほぼ日本に戻れず、海外生活が何ヵ月も続きました。おかげで日本に帰ってきたときのゴハンの美味しいこと(笑)。安くて、旨くて、バリエーション豊富で……食事に関しては日本が一番だと断言できます。
最近一番楽しかったことは、とある新型スポーツカーのカタログ撮影をさせてもらったことだね。
カタログの写真は制約の多い中で撮影することが多いのですが、この撮影は僕のアイデアや希望をしっかり取り入れてくれて、「本当に撮りたいものを撮れた」と、達成感が大きかった。
まだ発売前なのでどの車かは教えられませんが、楽しみにしていてください。実は僕、このところずっと海外に居たこともあって、マイカーを持っていないのですが、そろそろ欲しいと思っているんです。もちろん自分でカタログ撮影した車をね。
インタビュアー
河西啓介
1967年生まれ。自動車やバイク雑誌の編集長を務めたのち、現在も編集/ライターとして多くの媒体に携わっている。また、「モーターライフスタイリスト」としてラジオやテレビ、イベントなどで活躍。アラフィフの男たちが「武道館ライブを目指す」という目標を掲げ結成されたバンド「ROAD to BUDOKAN」のボーカルを担当。