昔から現在の車までを知り尽くすプロの人たちにインタビューし、“名車”というテーマで語ってもらった。すると思想や技術だけではなく、関わる人たちの熱いスピリットが時代を超えて脈々と受け継がれていることが分かった。彼らの言葉や想いを知れば、現在の車に対する見方がガラリと変わるはずだ。

今回お話をお伺いしたのは、数々のレースで活躍してきた脇阪寿一さん。現在はTOYOTA GAZOO Racingアンバサダーとして、モータースポーツの楽しさを多くの人に伝えています。そんな脇阪さんですが、全日本GT選手権のシリーズチャンピオン獲得時に乗っていたマシンと同じ年式のスープラを購入しました 今回お話をお伺いしたのは、数々のレースで活躍してきた脇阪寿一さん。現在はTOYOTA GAZOO Racingアンバサダーとして、モータースポーツの楽しさを多くの人に伝えています。そんな脇阪さんですが、全日本GT選手権のシリーズチャンピオン獲得時に乗っていたマシンと同じ年式のスープラを購入しました

スープラはあくまでも“走るための道具”だった

ドライバーとして、そして監督として多くのモータースポーツシーンで活躍している脇阪寿一(わきさかじゅいち)さん。世の中には“名車”といわれる車がありますが、脇阪さんが考える名車とはどんな車なのか、モーターライフスタイリストとして多方面で活躍中の河西啓介さんが迫ります。

脇阪寿一さん
河西啓介
河西啓介

今日乗ってきてくださったスープラ(A80型)は、最近購入されたものですよね。やはり脇阪さんの世代だと、昔から「スープラ」という車への憧れがあったのでしょうか。

脇阪さん
脇阪さん

いや、じつは僕、子供の頃から車にまったく興味なかったんですよ。自分の“負けず嫌い”を表現する道具として車に乗るようになっただけで。

河西啓介
河西啓介

え、いきなり予想外の答えです。当然、若い頃から車好きだったのだと思ってました。

脇阪さん
脇阪さん

じつはうちの親父がちょっと変わってて、魚釣りでも虫捕りでも、かけっこでも、子供に本気で勝負を挑んでくるんですよ。それで負けると怒られるし、絶対認めてくれない。

だからいつも「親父に勝ちたい」と思ってた。19歳のとき、幼なじみだった道上龍(レーシングドライバー)がカートのレースに出るというんで観に行ったんです。

そこで「乗ってみる?」と勧められてハンドルを握ったとき、「これなら親父に勝てるんじゃないか」と。そこから僕のレーサー人生は始まったんですね。

河西啓介
河西啓介

カートから全日本F3、フォーミュラ・ニッポンなどで活躍され、2001年からはスープラ(A80型)でスーパーGTを戦っていますよね。

脇阪さん
脇阪さん

そうですね、2002年にはスープラで初めてGTのシリーズチャンピオンになった。

でも正直に言えば、そのとき車は、僕にとって“勝つための道具”でしかなかった。で、「僕が乗れば勝てるでしょ」と思ってた。

ほんと自信過剰で……人間ができてなかったんです。

シリーズチャンピオン獲得時に乗っていた「エッソウルトラフロースープラ」 シリーズチャンピオン獲得時に乗っていた「エッソウルトラフロースープラ」
多くの実績を積み上げ、一流レーサーとしてのキャリアを積んでいった脇阪さんですが、当時は車のことを“勝つための道具”としてしか見ていなかったといいます 多くの実績を積み上げ、一流レーサーとしてのキャリアを積んでいった脇阪さんですが、当時は車のことを“勝つための道具”としてしか見ていなかったといいます

「車に恩返ししなさい」その言葉にハッとした

脇阪さん
脇阪さん

車に対する気持ちが変わってきたのは、2010年にトヨタの「GAZOO Racing」でニュルブルクリンク24時間レースに参戦してからですね。

チームの中心だったトヨタの豊田章男社長、マスターテストドライバーの成瀬弘さんがいつも「もっといい車を作ろう」、「車の素晴らしさ、魅力を伝えよう」ということを仰っていて、一緒に戦っているうちに「車を好きになるってどういうことだろう?」と考えるようになった。

河西啓介
河西啓介

GAZOO Racingでは豊田章男社長自身がドライバーとして参戦されていましたよね。

脇阪さん
脇阪さん

そんなとき知り合いから言われたんです。

「今度は貴方が車に恩返ししたらどうですか!? 車は美術品と一緒で、名車と呼ばれる様な、ましてやオリジナルの状態で残っている車は、歴史的に貴重なもの。わかっている人が所有して状態を保ち、未来へ継承するべき。あなたならそれができるよね」と。

河西啓介
河西啓介

それでスープラを手に入れることになるわけですね。

脇阪さん
脇阪さん

じつは最初、ナロー・ポルシェを探してたんです。

でもなかなかオリジナルでいいモノが見つからなかった。そこでスープラはどうかなと。「カーセンサー」を見て探してたら(笑)、山梨のショップによさそうなのがあったので見に行ったんです。

河西啓介
河西啓介

おお! カーセンサーを利用していただいたんですね。ありがとうございます(笑)。

脇阪さん
脇阪さん

ショップに行って試乗させてもらったら、なんだかすごく楽しかった。

すぐ織戸さん(レーシングドライバーの織戸学さん)に電話で「こんな車があるんだけど」と相談したら、「そういう車はなかなか出てこないよ」と。

河西啓介
河西啓介

それで購入したんですね。脇阪さんがSNSに「スープラ買いました」とアップされたときは、ネットがかなりザワつきました(笑)。

脇阪さん
脇阪さん

そうそう、SNSに上げたら、たまたまジュネーブショーで新型スープラが発表された日だった。

おかげでトヨタの“仕込み”だと思われたみたいだけど、100パーセント自腹購入ですから(笑)。

スープラが名車になったのは、多くのファンが育てたから

昨年ご自身で購入されたという80型スープラ。性能的には今の車に劣る部分も多いようだが、「やっぱり思い入れ深い」といいます 昨年ご自身で購入されたという80型スープラ。性能的には今の車に劣る部分も多いようだが、「やっぱり思い入れ深い」といいます
河西啓介
河西啓介

それにしてもこのコンディション、とても20年近く前の車とは思えません。

脇阪さん
脇阪さん

最初は内装ボロボロだったしタイヤも古かったから、あちこち手を入れましたよ。

実は買った後に気づいたんだけど、このスープラは2002年式、つまり僕がスーパーGTでタイトルを取った年の車で、なおかつ80型スープラとしての最終モデルだった。

乗り味も当時のままで、当時のテストドライバーに乗ってもらったら「これは80スープラの開発にも携わっていたマスターテストドライバー成瀬弘さんが最後に味付けした、遺品のような車ですね」と言われた。

あらためて「これは貴重な車を手に入れたな」と思いました。

河西啓介
河西啓介

新たに発表された新型も世界中の自動車ファンから大きな注目を浴びていますよね。やはり「スープラ」というのは特別な車なんですね。

脇阪さん
脇阪さん

スープラが今も人気なのは、単に直6エンジンのFRスポーツカーだからという訳じゃないと思うのです。

その車に乗って、愛した人たちがストーリーを紡いで育てていったからこそ、多くの人がその名前に憧れて「名車」と呼ばれるようになったと思うんですよ。

河西啓介
河西啓介

脇阪さんがスープラでスーパーGTのチャンピオンになったのも、そのストーリーの一部になっていると思います。

脇阪さん
脇阪さん

どんな車も最初から名車なんじゃない。

自分が「これだ」と思う車を手に入れて、名車に育てていけばいいと思う。だから新型の90スープラも注文したんですよ。きっと名車になるでしょう。僕が育てますからね!

日本では2019年春頃に発売が予定されているGRスープラ。脇阪さんをはじめ、多くの人たちに育てられ、名車と呼ばれる日がくるでしょう 日本では2019年春頃に発売が予定されているGRスープラ。脇阪さんをはじめ、多くの人たちに育てられ、名車と呼ばれる日がくるでしょう
脇阪寿一(わきさかじゅいち)

レーシングドライバー

脇阪寿一

1991年にカートを始め、翌95年に全日本F3選手権に参戦し新人賞を、翌96年には日本人として6年ぶりとなるシリーズチャンピオンを獲得。その後全日本GT選手権(現SUPER GT)に参戦し、02年には「エッソウルトラフロースープラ」のステアリングを握り、シリーズチャンピオンに。現在は、Team LeMansの監督を務めるとともに、TOYOTA GAZOO Racingアンバサダーとして、多くのイベントにて車やモータースポーツの楽しさを発信している。

河西啓介(かわにしけいすけ)

モーターライフスタイリスト

河西啓介

自動車やバイク雑誌の編集長を務めたのち、現在も編集/ライターとして多くの媒体に携わっている。また、「モーターライフスタイリスト」としてラジオやテレビ、イベントなどで活躍。アマチュアコミックバンド「Dynamite Pops」のボーカルとしても20年以上にわたり活動している。

text&Interview/河西啓介
photo/尾形和美、三橋仁明(N-RAK PHOTO AGENCY)