▲元プロ野球選手でありながら、現役レーサーとしての顔を持つ山崎武司さん(左)。富士スピードウェイで開催された「GAZOOレーシング 86/BRZレース」第3戦の様子。なお、写真右は「OTG MOTOR SPORTS.」の佐藤晋也レーサー ▲元プロ野球選手でありながら、現役レーサーとしての顔を持つ山崎武司さん(左)。富士スピードウェイで開催された「GAZOOレーシング 86/BRZレース」第3戦の様子。なお、写真右は「OTG MOTOR SPORTS.」の佐藤晋也レーサー

指導者としての道よりも、レーサーを選んだ理由とは……

ホームラン王に2度輝いた元プロ野球選手の山崎武司さん。レーサーに転向して、早や1年が経ち、先日7月11~12日に行われたスポーツランドSUGOで行われた「GAZOOレーシング 86/BRZレース」にも参戦しています。

現役時代の実績や人望から指導者就任の声が後を絶たなかったという山崎さん。今回はそんな山崎さんがレーサーになったキッカケを中心にお話を聞いてみました。

「45歳になっても人と競争できること」として選んだレーサーの道

―プロ野球選手として引退後、レーサーになろうと思ったキッカケについて教えてください。

山崎:正直言うと、僕もレースなんてなかなか出られるものではないと思っていたんです。少なからず僕もレースの知識はありましたから。いくらレースをやりたいと言っても、すぐに車を用意できませんし、活動費用もかなりの額がかかりますしね。

でも、僕の場合はたまたま知り合いから声をかけてもらって……。ただレーサーになろうと思った1番の理由は、別のところにあります。

―と、おっしゃいますと?

山崎:僕はプロ野球選手として現役として27年、44歳までやらせてもらいましたが、引退するときに「これからは人と競争することがなくなるんだ」と思ったんです。年を取ると、どうしても競い合う機会が少なりますが……それって寂しいなって。

だから「45歳になっても人とハンディなしに戦えるものって何かな?」と考えたとき、レースが思い浮かんだんです。自分の趣味が高じてやってもいいんじゃないかなって。まぁ、僕は体が大きいのでレースをするうえではハンディになるんですけどね(笑)。

―新たに「人と競争すること」に挑戦したいと?

山崎:そうですね。というのも、僕自身、自分が元気なうちはギラギラしていたいって思っているんです。それが、レースになったのかなって思います。ただ、最初のうちは「レースなんて簡単にできる!」と思っていましたが……実際は違いましたね。体力と精神力が想像以上に必要で、本当に大変でした。

例えば、野球でミスしても決して死にはしませんが、レースの場合はミスひとつで命を落としかねません。そういう世界ですから、僕がレースに参戦することについて「なんて無謀なことをやっているんだ!?」と周りの人から言われますが、そういうギリギリな世界がたまらなく好きなんですよね。

たまらなく好きな“ギリギリな世界”

―“ギリギリな世界”とおっしゃいますと?

山崎:僕はなんというか、自分を追い込みたくなってしまうんですよ。人って楽な方へ行きたがるものだと思うのですが、僕は「ちょっとキツイかもしれないけれど、やってみたい」とか「今辛いけれど、これを越えたらどんな景色が見られるのかな?」と考えちゃうんですよ。

もちろん、辛い状況を乗り越えるには危険が生じるし、下手をすれば死んでしまうかもしれません。でも、そういったギリギリな世界がたまらなく好きで、“ギラギラ”しちゃうんです。

―スポーツ選手ならではの考え方ですね。

山崎:そうかもしれませんね。今でも技術では他のレーサーにかないませんが、体力と精神力では絶対負けないと思っています。そういう気持ちでレースに臨むと、意外と上手くいったりしますから。

―なるほど。では、実際にレースで大変なことって何でしたか?

山崎:体力と暑さとの戦いですね。いくらパワステが付いていてもやはり腕は疲れますし、レース中はエアコンをつけられないので真夏だとたった30分のレースでも大汗をかいてしまって ……。僕の場合、レース前より4キロくらい体重が落ちるんです。

これは野球も同じですが、体力が限界に近づいてくると息が上がってきて、頭の中が白くなっていくんですよ。このままいくと気を失うなってくらいに。でも、それがいいんですよね。なかなかわかりづらい感覚かもしれませんが、自分を限界まで追い込んで「まだやれる!」と強く思うと、どんどん調子が上がっていくんです。このときの感覚が最高で、「これ……これだよ!」という気持ちになります。

もちろん心拍数はかなり上がっている状態なのでヤバいことに変わりありません。でも、そこで自分をコントロールできないと超一流にはなれないし、その瞬間が楽しいんです。

また、苦しくなってきたときは「僕もキツイけれど、前を走る相手はもっとキツイだろうな」と思うようにしています。僕よりも技術のある人がフラフラしているのを見たら、「これは抜くチャンスがくるかもしれない」と前向きに捉えています。

―やはりハードなんですね。デビュー戦(昨年7月に開催された「GAZOOレーシング86/BRZレース2014」第6戦)のときは、どんな気持ちでしたか?

山崎:あのときは「走り切った」とか「やりきった」という気持ちより「できる!」と思っていたから自分の成績(完走41人中30位)については興味がなかったんです。それより、メカニックの人たちへの感謝の気持ちがすごくありました。

例えば、僕が走る前にコースの状況に合わせてタイヤやサスペンションの状態を微調整してくれて、僕が一番走りやすいようにマシンを作ってくれます。さらに、レース中はシートベルトの取り付けをはじめ、すべてやってくれる。それを見ていると「悪いなぁ」と、申し訳なく思いました。

レースって走るレーサーは1人ですが、裏方に回ってくれる方々は10人以上、たくさんの人がついてくれる。僕ができることは1つでも順位を上げるように頑張ることだと思いました。それが彼らへの恩返しになるのかなって。僕らしくないんですけどね(笑)。

▲「生涯、挑戦し続ける」という自身の考えを語ってくれた山崎さん。その表情から真剣さが伝わってきます ▲「生涯、挑戦し続ける」という自身の考えを語ってくれた山崎さん。その表情から真剣さが伝わってきます
▲こちらは、7月12日にスポーツランドSUGOで行われた「GAZOOレーシング 86/BRZレース」第4戦の決勝戦スタート前の1シーン ▲こちらは、7月12日にスポーツランドSUGOで行われた「GAZOOレーシング 86/BRZレース」第4戦の決勝戦スタート前の1シーン
▲同じくSUGOの決勝戦スタート前の様子。ゼッケン番号は楽天イーグルス時代の「7番」から「777」にしているとのこと ▲同じくSUGOの決勝戦スタート前の様子。ゼッケン番号は楽天イーグルス時代の「7番」から「777」にしているとのこと
text/福嶌 弘  photo/Takeshi Yamasaki Official Site