シロートだから実現できた!? 大阪生まれのハイパーBEV、アウルが世界最速を実現した道のりとは!!
カテゴリー: カーライフ
タグ:
2024/03/11
大阪で生まれた世界最速のハイパーBEVとは
大阪市に本社を置くアスパークは機械や電気電子、科学、製薬といった幅広い分野で技術者の派遣や技術・開発の支援を行うエンジニアリングカンパニーだ。
今からおよそ10年前に「世界最速のBEVを作る!」と宣言。2017年のフランクフルトモーターショーにおいて、ハイパーカーのプロトタイプ “アウル” を発表。車両価格は290万ユーロから。世界限定50台で、2020年から生産も始まった。昨年2023年には英国において公式にテストを行い、最高速度413km/hを記録。0→100km/h加速も1.72秒で、世界で最も速いBEVになったという。
2005年にスタートしたアスパーク。順調に成長し、経済的にも人材的にも何か新しいチャレンジができそうだとなったのが今から10年前のこと。何をやりたいか? 社内でアイデアを募ってみると圧倒的に多かったのが自動車の分野だった。当時を振り返って社長の吉田眞教氏はこう語る。
「自動車産業関連で働いてくれているスタッフも多かったんですよ。今から10年前くらいというと電気自動車が注目され始めていた頃でしたし、じゃEVでいこうかと。そうするとトラクターとかゴルフカートみたいな1人乗りとか、現実的なアイデアばかり集まってきてしまって。なんかおもんない、響かへん。どうせなら世界一を目指そう。じゃ、何の世界一? 世界一速くて、世界一かっこいい車、って結局、僕が言い出した」
聞けば吉田さん、小さい頃から車は好きだったけれど、いわゆるマニアというほどではなかった。もちろん、車作りの何たるかもまるで知らなかった。
「まったくの素人、何も知らなかった。だから逆に開発時間を短くできたんです。既存のやり方で僕らがやろうとすると20年はかかりそうだった。そんなに待ってられない。それに“速い車”といっても何を基準にしたらいいのかさえ知らなかったんです。調べてみたら0→100km/h加速という測定があるぞ、と。なんでも2秒くらいのタイムで走る車があるそうだ。じゃそれ1秒でお願い、なんて最初は思っていたくらい(笑)」
まずは社内で様々な検討を行った。加速タイムに関しては、タイヤの性能や空気抵抗など理屈を説明されて吉田さんも納得し、2秒以下を目指すことからスタートした。
「じゃ、かっこいいってなんですか? って聞かれたときに、かっこいいはかっこいいやろ、と。いうてもそれじゃわからへん、それで国産、海外を問わずスポーツカーや乗用車のいろんな写真を見せられて、僕が言うかっこいいを具体化するんで点数つけてくださいと。当然、乗用車は1点で、ランボルギーニなんかは10点で。それをいろんな車種でやっていくうちに社内でデッサンが始まった。『こういう主旨ですか?』『いやちょっと違う』『こんな感じ?』『いやちょっとまだ違う、あ、こっちは近いな』『じゃあこれをベースにカタチを作っていこうよ』という感じで、まずは大枠のデザインが決まっていったんです」
基となるデザインが完成し、車作りを本格化させるにあたって、やはり実車にしていくための工学的な知識やレギュレーションに合わせていく経験が必要だろうということで、いよいよ外部の力を借りようということになった。ところが、最初に持ちかけて仕事を始めた会社が途中でさじを投げてしまった。
「この車をデザインで終わらせるのではなく実際に作るつもりなんです、って言った途端、『絶対に無理です。そんなことできたらギネスものです。我が社ではできません。手を引かせてください』って言い出した(笑)。日本国内で50社以上にあたってようやく見つけた協力企業だったんですが。そこで仕方なくまた50社から60社に連絡してみると、イケヤフォーミュラさんが『そういうことやっているって話を噂で聞いていました。なんかおもしろそうやから一緒にやってみましょ』、と。そこから再スタートできました」
栃木県のイケヤフォーミュラといえば、高度な金属加工技術を軸にレーシングカーやチューニングパーツの開発で有名な会社で、自社でも“IF-02RDS”というオリジナルスーパーカーを作り上げ、ナンバーを実際に付けた実績がある。
「(イケヤ側の)デザイナーとは徹底的にやり合いました。こちらのイメージをできるだけ実現したかったから、『ここを短くしろ』とか『もう1cm低くしろ』とか、ありとあらゆるところに文句を入れるもんだから、しょっちゅう喧嘩ばかりして。『うちは前のめりな会社なんだから、もっとノーズを長く』とかね。そうして完成したプロトタイプには本当に思い入れがあります」
ところがそのイケヤフォーミュラも、吉田さんがこれをベースに市販ロードカーを本気で作ると言い出した途端、二の足を踏んだ。実際にオリジナルのスーパーカーをゼロから作りナンバーを付けた経験がそう言わせたのだった。
「ちょっとそれはハードルがあまりにも高いっていう話になって、そこからまた、次は世界でいろんな会社に連絡しようとなって。何社かに絞って、すべて実際に打ち合わせにいって、結果、イタリアのMATがやってみましょうと言ってくれたんで、じゃあお願いしますとなったんです」
MATとは、トリノ自動車製造工場という名のカロッツェリアで、元ピニンファリーナのすご腕デザイナーが立ち上げた会社だ。
車をゼロから1台だけ、それも走るプロトタイプを作ることはお金さえあればできる。けれども、その車を世界のレギュレーションに合わせてリエンジニアリングし、しかも市販モデルとして生産するとなると、予算も労力も桁違い。大量生産となればさらに大変で、パガーニよりカローラの開発の方が何百倍も大変といわれるゆえんだ。
「MATとのミーティング中って、キレてた記憶しかないんですよね。イタリア人は『なんであの人はいつも怒ってはるんやろ』って(笑)。どうせやるなら1番を目指していくし、やるなら早くやらんと意味ないし、そこが負けず嫌いすぎて、なんでこれができへんねんとか、もっとこの方法あるんじゃないのとか、ってすぐ言ってしまうので、なんなんでしょうね、子供のときからわがままでした(笑)。でも、途中で諦めることは絶対になかった」
まさに執念。執念深い人じゃなければ、誰もがやらなかったことを実現することなどできない。人間諦めが肝心などと言っていたら、何事も成らないというわけだ。
「一日でも早く作ってほしい。そのために、じゃあここをもう省くし、これは省けへんってみたいな進め方でした。快適さは一切いらんよ、と。速くてかっこいいだけの車やから。だけどさすがに快適さは多少いるよなって(笑)。エアコンは要る(爆笑)。という感じで少しは変わっていったけれど、端折れるところは極端に端折って、完成にもっていった。速くするっていうことだけブレずに全員が突き進んでいった結果なんですね」
デビューは2017年のフランクフルトショーだった。その後、海外のモーターショーやイベントを転戦し披露、大いに注目を集め、話題となった。どうして海外デビューだったのだろうか。
「漠然と日本では売れへんやろうなと思っていたんですよね。日本では電気自動車というと、なんかも環境に優しいとかエコとかそっちに振られそうで。それに運転して楽しいっていう方向性でいくと、その市場もまた日本にはなさそうだなぁと。そうなったら欧米や中東のマーケットがターゲットになってくるし、日本で売ることにこだわって考えてもそれまたダサいんで。海外で売るってことを考えたら、海外のモーターショーで発表やろと。そこで反響を聞いて修正を加えるところがあれば改良して、というのをやろうよって決まっていった」
そして昨年秋、日本へ凱旋帰国。12月には大阪で日本のナンバーを取得するに至った。
「感想ですか? いや、それはもう“遅っ”て。長かった。コロナもあったんですけど、本当は3、4年前にこうなっているはずだったんで。MATと組んでから5年ですか。1、2年で仕上がるっていう話でスタートしてたんが、途中でいろんなことも起こりながら、コロナで止まったりとか、物が流れへんかったりとかあって、98%くらいまで完成よねってなってからの残り2%が本当に長いんですよ。法規を通すとか、ちょっと見逃していたとか、なんかまた増えたみたいなことがいっぱい出てくるんです。そこから修正加えて実験して、また課題が出てきて解決してテスト、なんてことをずっとやってて本当に長かった」
アウルとはいったいどんな車なのだろう? 速いのはわかった。でも、実際の公道ではどんなふうに振る舞うのだろうか。
「最初はあまりにクセが強すぎて、ユーザビリティ的におかしいからちょっと変えようよとか、制御ソフトに問題あるんじゃないかとか、あれこれ変えた方がいいかもって思っていたんですけれどね。4、5回乗ってみるとムチャクチャ楽しい。もうほんと運転している感が段違いにあって、室内もタイトだから一体感みたいなのがめっちゃあるんですよ。車が自分の身体の一部くらいの感じで走れる。ランボルギーニあたりでは感じたことのないフィーリングが、もうダントツにある。楽しい車です」
電気自動車になると車の運転は楽しくなくなるとさえ世間ではいわれてる。アウルはそれを覆すヒントになりそうだ。ところで吉田さんは日本の今のマーケットについてどう思っているのだろう。
「いや、前と違って市場はあると思います。絶対あるから、大手メーカーとかが本気出したら、こんなんすぐ作れるのにって思ってしまう。やってほしいんですよ、市場を作っていきたい。もうこれは本当に事業として継続していくつもりなので。第2弾、第3弾も企画していますよ。そう、あともうちょっと快適な車ですね(笑)」
アスパークは自動車メーカーとしてもそのステップを刻み始めたと言っていい。