フィアット500C ▲取材に伺ったSTI GALLERY MITAKAには実際にWRCで走っていたマシンがずらり

2022年11月ラリージャパンが12年ぶりに開催となったWRC。雑誌『カーセンサー』2023年1月号特集企画では、かつて世界を驚かせたあの名車やその血統を引き継ぐ名四駆車の開発者へのインタビューを掲載している。

今回話を伺ったのは、STI設計情報管理室部長 森 宏志さん。ラリーカー開発のウラ話をはじめ、紙幅の都合でこぼれてしまった話も含めお届けしよう。
 

水平対向エンジンとシンメトリカルAWDを引っ提げ世界を席巻

1980年にレオーネ4WDでサファリラリーに初挑戦し、1990年に初代レガシィでWRC(世界ラリー選手権)に初参戦したスバル。そこから2008年までひたすらWRCに挑戦し続けた理由は、「シンメトリカルAWDの優秀性を世界へ知らしめるためだった」と、インプレッサなどの開発に深く携わったSTIの森 宏志さんは言う。

富士重工(現SUBARU)入社当時の森さんは航空機の技術者だったというのもいかにもスバルらしい話だが、初代レガシィなどの駆動系とサスペンションに関わったのち、4代目レガシィの主査を経て、WRX系インプレッサのPGM(開発責任者)に着任した。
 

フィアット500C▲お話を伺ったSTI設計情報管理室部長 森 宏志さん

「私がWRXのPGMになったのは、GDB(2代目インプレッサWRX)の途中からです。2003年10月の東京モーターショーで4代目レガシィとそのアウトバックを発表していた真っ最中に、上司から携帯に『インプレッサのPGMをやらないか?』との連絡が入り、もう二つ返事で『やります!』と(笑)。そして2003年というのはちょうどペター・ソルベルグ選手がGDBのWRカーで初の世界王者になった頃でしたので、ペターには市販版のスバル車もかなりテストしてもらいましたね」
 

フィアット500C▲WRC参戦当時のペター・ソルベルグ選手

その際に、ソルベルグ選手が森さんに何度も要望したのは「次のインプレッサは前後オーバーハングをゼロにしてくれ!」ということだった。WRCで勝つために、車体の慣性モーメントは極力小さくしたい――ということだ。

「ペターは来日するたびにそれを言ってました。さすがにゼロは無理ですが、ペターが言うことはもっともだと思いましたね。様々な検討やディスカッションを経て、次のGRB(3代目インプレッサWRX)はセダンではなく5ドアハッチバックでいくと決断したわけですが、それをペターに伝えたときは『Oh、大正解だね!』と言ってました(笑)」

そうしてソルベルグ選手の意見も取り入れつつ、完全なゼロベースで開発されたのが、GRBこと3代目インプレッサWRX。
 

フィアット500C▲GRBをベースにチューニングされたWRカー

当時のデザイナー、アンドレアス・ザパティナス氏が当初作った3代目インプレッサのスケッチとクレイモデルに対し、森さんは「リアオーバーハングをあと20mmぐらい短くできないものか?」と話したという。それはペター・ソルベルグ選手の願いであり、森さん自身の「WRCで勝てる車にしたい!」との思いから出た提案でもあった。

ザパティナス氏は「いや、バランス的にそこは絶対に譲れない!」とのことだったが、「でもまぁいちおう作ってみよう」ということにはなり、最終市販バージョンよりもリアオーバーハングが約20mm短いクレイモデルを遠くから眺めてみたが――。

「……ザパティナスさんの言うとおりでしたね。フォルム的には、やはりザパティナス案の方が断然美しいということで、あのディメンションに決定しました」

また、改造範囲が狭い「ほぼ市販車」といえるグループN規定のインプレッサでPWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)に参戦していた新井敏弘選手からも、「毎年50項目ぐらいは『ここをこうしてほしい!』というようなご要望をいただいてました」と森さんは振り返る。

「大きなところから細かい部分までいただく新井選手からの指摘は『確かにそうかもしれない』ということばかりでしたので、溶接が1周回っていなかった部分を1周回すようにしたり、DCCD(ドライバーズコントロールセンターデフ)のギア比も途中で変えたり、AWDシステムそのものを進化させたりと、本当に“毎年フル開発”というような勢いで市販バージョンのインプレッサWRXを作ってましたよ」
 

トゥインゴ▲PWRCに参戦当時の新井敏弘選手

ペター選手や新井選手の改善要求に、森さんおよびスバルが応え続けたのは、当然ながら「WRCで勝つため」ではある。だがその先というか、奥底にある真の理由は、冒頭で述べたとおり「自分たちが作っているシンメトリカルAWDというシステムの優秀性を世界に知らしめるため」だ。

その意味でスバルのラリーカーと市販車は血脈として確かにつながっており、その“血液型”とでも言うべきものは、基本的には同一なのだ。

さしずめその血液型の名称は、A型ならぬ「AWD型」といったところだろうか。

 

「理想的な走り」はWRCでも市販車でも変わらない

先ほど「スバルのラリーカーと市販車の“血液型”は同じ」とは述べたものの、「骨格以外は別モノ」とも言えるWRカーと市販車に、そもそも共通する部分はあるのだろうか? という素朴な疑問はある。

この質問に、STIの森さんはこう答える。

「もしも狭い意味でお答えするなら『ない』ということになるでしょう。しかし広い意味でお答えするならば、『ある』ということになります。グループAカーもWRカーも、そして市販車も、すべてのスバル車は『理想的な走り』を実現すべく作られています。そして理想的な走りというのは、ラリーカーと市販車とで変わるものではないんですよ」

理想的な走りの実現。それは「タイヤをいかに上手く使うかに尽きる」と森さんは説明する。

どんな路面であっても、そして車がどんな姿勢にあるときでも、タイヤの摩擦円(グリップ力の限界を円で表したもの)をとにかく最大化させる。そのための“四輪駆動”であり、さらにはスバルならではの“シンメトリカルAWD”であり、そして「ボディや足回りなどのどこを固め、逆にどこをあえてたわませるのか?」等々の細かなチューニングがある。

それらすべてがWRCでの勝敗に直結しているのと同時に、市販車での「安全に、意のままに走る歓び」に直結しているということだ。

このことについては、スバルワールドラリーチームで大活躍したドライバー、ペター・ソルベルグ選手も証言者の一人だ。

「ペターが2004年頃にスバルの市販車のテストを行った際、最も高評価だったのは、その当時からリアにマルチリンク式サスペンションを採用できていた初代レガシィ アウトバックだったんです」

当時のインプレッサWRXより、SUVであるレガシィアウトバックの方がソルベルグ選手的には高評価だったと?

「はい。とはいえもちろん『雪道やアイスバーンを200km/h超で走るには?』という超絶レベルにおいての話ですが、ペターいわく『リアサスペンションにストラットを使っているインプレッサGDBの量産車より、マルチリンクを使用しているアウトバックの方がリアの接地性が高いので、より速く走れる』という意見でした。これは実は本当にそのとおりで、次のGRBからはやっとリアサスペンションをマルチリンク式にすることができましたので、より摩擦円を大きくすることが、つまり“理想的な走り”に近づけることができたのです」
 

DS3▲こちらがレガシィアウトバック(初代)

ラリーカーと市販車は別モノというのは理解したうえで、それでも“ラリーカーに近い市販車”はどれか? との問いに対し、森さんは「それは“すべてのスバル車”ですね」と満面の、しかし力強い笑みとともに、答えた。

「まだラリー・ジャパンが開催されていなかった2000年代。海外で開催されていたWRCの現場に行くと、本当に多くの現地の方々が家族連れでブルーのウエアを着て、スバルのフラッグを振ってくれていました。そして小さなお嬢さんが『SUBARU』と書かれている手編みのセーターを着ながら応援してくれていたり。そういった光景を、世界のどこへ行っても目にしたんですよ。……WRCに本気の本気で挑戦したからこそ、その知見を量産車にフィードバックすることができましたし、世界中の人々に、シンメトリカルAWDを用いた我々の量産車の美点が伝わったのだと思っています」
 

DS3

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文/伊達軍曹 写真/阿部昌也、STI、スバル
伊達軍曹

自動車ライター

伊達軍曹

外資系消費財メーカー日本法人本社勤務を経て、出版業界に転身。輸入中古車専門誌複数の編集長を務めたのち、フリーランスの編集者/執筆者として2006年に独立。現在は「手頃なプライスの輸入中古車ネタ」を得意としながらも、ジャンルや車種を問わず、様々な自動車メディアに記事を寄稿している。愛車はスバル レヴォーグ STIスポーツ。