▲全日本ツーリングカー選手権での29連勝をはじめ、当時のレースシーンで大活躍したR32型スカイラインGT-Rも馬力規制の影響で280psに ▲全日本ツーリングカー選手権での29連勝をはじめ、当時のレースシーンで大活躍したR32型スカイラインGT-Rも馬力規制の影響で280psに

人気モデルに課せられた「280馬力規制」

レクサス RC Fの351kW(477ps)、日産 GT-Rの404kW(550ps)など、国産車でもハイパワーを誇るモデルがございます。しかし、かつての日本には「280馬力規制」というものが存在しました。ご存じの方も多いでしょうが、大排気量の車は本来の性能よりもパワーを抑えていた時代がありました。

この規制の影響を受けたモデルは、日産 スカイラインGT-R(R32、R33、R34)といったスポーツカーやトヨタ セルシオといった大排気量エンジンを搭載した高級セダンなど。現在でも中古車で数多く規制を受けたモデルが流通していますが、そもそも280馬力規制はなぜ生まれたのか。

“第二次交通戦争”が馬力規制のキッカケに

時は1980年代。当時の日本は好景気の真っただ中で、国産メーカーはハイパワー競争を巻き起こしていました。エンジンのDOHC化や、ターボやスーパーチャージャーといった過給機の搭載によって、大排気量の車の馬力をどんどん上げていったんです。当時の自動車税は小型車(5ナンバー車)と普通車(3ナンバー車)で税額が大きく違ったため、3ナンバー車には“パワー”という付加価値が必要だったことも影響したのでしょう。

ただ当時は“第二次交通戦争”と言われ、死亡者が1万人を超えるなど交通事故の増加が深刻な社会問題になっていました。そこで、当時の運輸省が日本自動車工業会などにハイパワー競争を控えるよう要請した結果、国産車は最高出力を280馬力に抑えることになったのです。

規制が280馬力になった理由は、1989年7月に登場した当時最高出力のモデルだったフェアレディZ(Z32型)に合わせたから。ちなみに、軽自動車はスズキ アルト(2代目)に設定されたアルトワークスの最高出力に合わせて最高出力を64馬力にしました。

ハイパワーな輸入車が登場し、馬力規制は撤廃へ

その後、ホンダ NSXやマツダ アンフィニRX-7(FD3S)、トヨタ スープラ(80系)などの大排気量スポーツカーが登場しましたが、どの車も最高出力は280馬力。ただこの規制は日本国内で発売される国産モデルのみの適用なので、280馬力を超える輸入車がどんどん日本に輸入されてきました。

こうなると国産メーカーの高級車は販売上、280馬力規制が大きな不利になります。そのため撤廃を望む声が高まり、ついに2004年、日本自動車工業会は国土交通省に規制撤廃を申し出ます。

そして、その年の10月7日、ホンダ レジェンドが300馬力を発生する3.5Lエンジンを搭載してデビューし「280馬力規制」に終止符が打たれました。

▲R32型スカイラインGT-Rに搭載されたRB26DETT型エンジン。2.6L直6にツインターボを搭載したこのエンジンは全日本ツーリングカー選手権で勝つために開発されたもの。最高出力は280馬力でしたが、600馬力を目標に開発されました ▲R32型スカイラインGT-Rに搭載されたRB26DETT型エンジン。2.6L直6にツインターボを搭載したこのエンジンは全日本ツーリングカー選手権で勝つために開発されたもの。最高出力は280馬力でしたが、600馬力を目標に開発されました
▲「280馬力」という規制の数値を決めるキッカケになったフェアレディZ(Z32型)。日産は80年代に「901運動」(90年代までに技術面で世界一を目指すという日産の目標)で様々なテクノロジーを開発しましたが、エンジンパワーは抑制せざるを得ませんでした ▲「280馬力」という規制の数値を決めるキッカケになったフェアレディZ(Z32型)。日産は80年代に「901運動」(90年代までに技術面で世界一を目指すという日産の目標)で様々なテクノロジーを開発しましたが、エンジンパワーは抑制せざるを得ませんでした
▲3.5L V6エンジンを搭載した4代目レジェンド。世界初となる四輪駆動力自在制御システム(SH-AWD)や、高張力鋼板(ハイテン材)を多用した軽量化など、多くの先端技術を取り入れ、2004-2005年の日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝きました ▲3.5L V6エンジンを搭載した4代目レジェンド。世界初となる四輪駆動力自在制御システム(SH-AWD)や、高張力鋼板(ハイテン材)を多用した軽量化など、多くの先端技術を取り入れ、2004-2005年の日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝きました
text/高橋 満(BRIDGE MAN)