【オンリーワンを探せ】夢と希望に満ち溢れていた頃のスポーツカー
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2013/06/18
原稿執筆時点でカーセンサーnetに1台のみ掲載されている希少車を紹介するこの企画。今回、2013年6月11日に発見したのは「トヨタ スポーツ800」です。「ヨタハチ」という名称で親しまれており、スポーツ800よりも耳にする機会が多いかもしれません。トヨタが同時期に生産していたセダンの「パブリカ」をベースに開発されたスポーツカーで、この流用コンセプトは後のレビン/トレノ/MR-Sなどでも見られるトヨタ手法の元祖と言っていいでしょう。ちなみに、プロトタイプが東京モーターショーに登場した際は「パブリカスポーツ」という名称でした。
戦後20年。高度成長期を迎えた当時、国産車にはダットサン フェアレディ、ホンダ S800などで代表されるスポーツカーブームが訪れていました。とはいえ1965年から69年にかけて生産されたスポーツ800は3131台。そのうちの300台程が、沖縄用として左ハンドルモデルとして作られたそうです(当時はアメリカ占領下で右側通行)。
スポーツ800は最高速度150km/hを目指して開発されました。しかし、ベースとなるパブリカの700cc空冷水平対向2気筒エンジンは最高出力28馬力で、目標を達成するには不十分。そこで排気量を約100ccアップし、ツインキャブレターをつけて最高出力を45馬力にパワーアップさせたんです。とはいえ、それでも非力だったんですが(笑)。ライバルであったホンダS800が70馬力ですから……。でも、580㎏という軽量コンパクトボディが功を奏して同等の能力がありました。
丸みを帯びたボディは今では愛嬌を感じさせます。これは、空気抵抗を低減させるためのものでした。また、現在は「タルガトップ」と呼ばれているアルミ製の着脱式ルーフ、実はトヨタが最初に採用したコンセプトだったんです。ボディパネルにも部分的にアルミを採用したほか、デビューからしばらくは軽量化のためにシートのフレームまでアルミ製でした。
当該物件、走行距離不明、修復歴アリ、となっていますが、フルレストアが施された個体です。46年落ちともなれば履歴をフォローするのは難しく、車両を見て、乗って、納得がいけば狙うべきでしょう。
現存している車は10%程度といわれていますし、とにかく市場に流通すること自体がレア。戦後復興を遂げて日本に明るい兆しが見え、国民皆が夢と希望を抱いていた頃の車です。ヒストリックカーレースやラリーといった趣味を始めたい方にはうってつけです!
Text/古賀貴司(自動車王国)