▲王貞治といえば、有名なのが一本足打法。右足を高く上げたこのフォームでホームランを量産し、V9を達成した巨人の中心選手として活躍しました。なお、本日5月20日は王さんの誕生日。今年で75歳を迎えられました ▲王貞治といえば、有名なのが一本足打法。右足を高く上げたこのフォームでホームランを量産し、V9を達成した巨人の中心選手として活躍しました。なお、本日5月20日は王さんの誕生日。今年で75歳を迎えられました

出自をなぞればなぞるほど、スゴさが際立つ墨田区の“ヒーロー”

プロ野球公式戦が開幕して早1ヵ月。今年も車で球場まで出かけて、応援を楽しむファンも多いことでしょう。「プロ野球が好きすぎる、自動車雑誌の編集者」であるワタシももちろんそのひとり。ひいきチームである読売ジャイアンツの応援のため、球場まで愛車を飛ばして現地観戦に熱を上げていたりします。

ですが、ワタシの応援もむなしく、今年のジャイアンツは24勝19敗の2位(5月19日現在)と、例年に比べるとイマイチ。特にチーム打率は2割3分8厘でセ・リーグ4位という貧打にあえぐ始末。実際に試合を観戦していると、点を取れずに負けるパターンが多い印象です。

「ジャイアンツが勝つにはどうしたらいいのか?」を真剣に考えた結果、やってきたのは東京都墨田区。実はこの町、ジャイアンツ……いやプロ野球史上最高のスラッガー、通算ホームランの日本記録を持つ王貞治の誕生の地なのです!

あの王さんが生まれた町ということは、ファンにとって(たぶん)パワースポットばかり。ここを巡ってから応援すれば、きっとジャイアンツ打線に火が付く(ハズ)――というわけで、仕事そっちのけで行ってきました。王貞治、ゆかりの地ドライブへ。

AM10:00 隅田公園少年野球場で、一本足打法をやってみる

まずやってきたのは、墨堤通り沿いにある隅田公園少年野球場。球場前にあるゲートから向かって左側に一本足で構えた打者のレリーフがあるとおり、当時小学生だった王少年はここで野球を始めたそうです。

当時、業平小学校の4年生だった王さんは兄・鉄城さんの影響を受けて野球を始めることに。それ以来、クラスで野球チームを作って野球に明け暮れるようになり、果ては墨田区の少年野球大会で優勝投手になる大活躍を見せます。

▲王さんに倣い、一本足打法をやってみるワタシ。実際にやってみると、左足がつりそうになりました…… ▲王さんに倣い、一本足打法をやってみるワタシ。実際にやってみると、左足がつりそうになりました……
▲日本の少年野球の発祥の地としても知られる隅田公園少年野球場。ここでは毎年、「王貞治杯」という少年野球大会が開催され、高橋尚成投手(横浜DeNA)をはじめ、多くのプロ野球選手が少年時代にこの大会へ出場しています ▲日本の少年野球の発祥の地としても知られる隅田公園少年野球場。ここでは毎年、「王貞治杯」という少年野球大会が開催され、高橋尚成投手(横浜DeNA)をはじめ、多くのプロ野球選手が少年時代にこの大会へ出場しています

AM10:30 錦糸公園で、王さんの偉大さを再認識する

続いてやってきたのは四ツ目通り沿いにある錦糸公園。野球用のグラウンドだけでなくプールや芝生広場など都民の憩いの場として知られる公園ですが、ここにも王さんのスゴさが伝わるエピソードがあります。

今からおよそ60年前。中学生になった王さんは入学した本所中学校では陸上部と卓球部を掛け持ちし、陸上部では砲丸投げの選手として都大会に出場するほどの実力でした。中学2年のときにはそれまで休部だった野球部を再開させ、3年生のときには区大会で優勝し、都大会へと出場します。それだけでは飽き足らず、さらに町の野球チームにも所属するという四足のわらじ状態だったのだとか。

しかも所属した町の野球チーム「厩四(うまよん)ケープハーツ」の主力メンバーは中学生ではなく、年長の高校生たち。そんな中で王さんはエースとして登板しながら、5番を打つという大活躍を見せたそうです。後にプロ野球で大活躍する素地はここにあったのか! とあらためて王さんの凄さを再認識しました。

▲グラウンドの脇にはバットとボールがかたどられた記念碑が。正面には「僕の野球の原点」と記されていました ▲グラウンドの脇にはバットとボールがかたどられた記念碑が。正面には「僕の野球の原点」と記されていました
▲プレートには王さんのコメントが。サインも添えられています。このサインを子供の頃、マネしたという方も多いのではないでしょうか? ▲プレートには王さんのコメントが。サインも添えられています。このサインを子供の頃、マネしたという方も多いのではないでしょうか?

AM11:00 今戸グラウンド跡地で、王さんの素直さを見習う

錦糸公園から車で10分ほど走ると、見えてくるのが台東リバーサイドスポーツセンター野球場。グラウンドの広さが印象に残りますが、ここが「今戸グラウンド」と呼ばれていた1954年、当時中学2年生だった王さんは荒川博氏との運命の出会いをここで果たします。

当時、毎日オリオンズ(千葉ロッテマリーンズの前身球団)に所属していた荒川氏はたまたま今戸グラウンド付近を散歩していると、野球をしていた王さんを見つけます。当時、右で打っていた王さんに対して「左で投げるなら、左で打ってみたら?」とアドバイス。以来、王さんは左打席に立つようになったそうです。

いくら野球選手とはいえ、面識のない人から受けたアドバイスに対し、素直すぎるほど素直に従った王さん。普段、頑固と言われるワタシも「見習わなければ!」と、気を引き締めた次第です。

▲散歩中だったという荒川氏もこんな感じで、グラウンドを眺めていたことでしょう。ちなみに巨人入団後、伸び悩んでいた王さんを救ったのもコーチとして所属した荒川氏。2人は二人三脚で一本足打法を完成させました ▲散歩中だったという荒川氏もこんな感じで、グラウンドを眺めていたことでしょう。ちなみに巨人入団後、伸び悩んでいた王さんを救ったのもコーチとして所属した荒川氏。2人は二人三脚で一本足打法を完成させました

PM0:00 洋食50BANで、王さんお気に入りのかつサンドを食す

王貞治ゆかりの地巡りドライブをしているうちに時刻はお昼過ぎに。そうなるとお腹がすいてきます。王貞治にこだわるワタシはもちろん昼食にだって、ゆかりのある所を選びます。

王さんがラーメン屋の息子だったのは有名な話ですが、今回やってきたのは洋食50BAN。「ラーメン屋に行くんじゃないの?」と思ったかもしれませんが……実はここ、王さんの叔父さんが始めた洋食屋なんです。中でも王さんはかつサンドがお気に入りだったということで、早速食べてみました。

まず驚いたのはカツのぶ厚さ。定規を使って測ったわけではないので正確ではありませんが、推定5cmはあろうかというほど。これなら大食漢で知られる王さんも納得のボリュームです。さらに、ほんの少し握っただけで肉汁があふれ出てくるほどカツはジューシーで、お肉はとっても柔らか。ソースの染み込んだパンとの相性も最高でした!

▲手書きの文字が印象深い洋食50BAN。お店近くにはコインパーキングが多く、車で来ても安心です ▲手書きの文字が印象深い洋食50BAN。お店近くにはコインパーキングが多く、車で来ても安心です
▲これが王さんお気に入りのかつサンド(税込1080円)。カツが分厚くて、食べごたえ抜群です! ▲これが王さんお気に入りのかつサンド(税込1080円)。カツが分厚くて、食べごたえ抜群です!
▲かつサンドを持っただけで、肉汁があふれ出てくるほどジューシーでした ▲かつサンドを持っただけで、肉汁があふれ出てくるほどジューシーでした

PM1:30 読売巨人軍発祥の地で、ジャイアンツ魂に触れる

お腹がいっぱいになったところで、運動がてら30分ほどドライブ。京葉道路の花輪ICで降りると間もなく見えてくるのが、谷津公園。実はここ、王さんが現役時代を過ごした読売巨人軍の発祥の地として知られているんです。
 
時は1934年(昭和9年)。後に「日本プロ野球の父」と呼ばれる正力松太郎が日本野球の発展のため、アメリカの選抜チームを日本に呼び寄せます。その対戦相手として、臨時に全日本チームが編成され、この谷津公園で練習を行いました。これが母体となってその年の12月に読売巨人軍が誕生したため、読売巨人軍発祥の地となったそうです。

▲4mを超える大きな石碑にデカデカと記された「読売巨人軍発祥の地」の文字。石碑の前には王さんをはじめ、巨人の歴代名選手の手形がずらりと並べられています ▲4mを超える大きな石碑にデカデカと記された「読売巨人軍発祥の地」の文字。石碑の前には王さんをはじめ、巨人の歴代名選手の手形がずらりと並べられています
▲手形に自分の手のひらを合わせて、サイズの違いを見てみるのも一興。王さんの手形に手のひらを合わせてみましたが……意外とサイズ差はありませんでした ▲手形に自分の手のひらを合わせて、サイズの違いを見てみるのも一興。王さんの手形に手のひらを合わせてみましたが……意外とサイズ差はありませんでした
▲今回のマップがこちら。ほとんどが墨田区内にあるので1日で十分に回れます。谷津公園も都内から車で30分ほどで到着します ▲今回のマップがこちら。ほとんどが墨田区内にあるので1日で十分に回れます。谷津公園も都内から車で30分ほどで到着します

巨人ファンならずとも、野球好きなら行って損はない、王貞治ゆかりの地ドライブ。休日のレジャーに出かけてみてはいかがでしょうか?

text/福嶌弘(編集部) photo/若菜乱太郎(編集部)