その出会いは必然だったのか、あるいは偶然なのか。人気ハンバーガー屋の店長とボルボ 240 エステートの数奇な運命
2023/08/29
車の数だけ存在する「車を囲むオーナーのドラマ」を紹介するインタビュー連載。あなたは、どんなクルマと、どんな時間を?
“それ”との出会いは必然か、はたまた偶然か
特に高価なわけでもレアなわけでもないが、自分が心底「いいな」と思えた1990年代の何気ない古着を自然体に、でも“いい感じ”で着こなしている三浦ヒロフミさん。
そんな三浦さんが29歳のときに人生初の愛車として購入したのは、これまた自然体で“いい感じ”の、1990年代のボルボ 240エステートだった。
もともとは初代ホンダ シビック タイプRなどの国産絶版スポーツカーを買うつもりでいた。高校生の頃に読んだマンガ『頭文字D』でその魅力にハマり、高校3年生の頃から月1万円ぐらいの車貯金を、欠かすことなくひそかに続けていたのだ。だが、そんな秘密の車貯金がそこそこの額に達してきた頃、国産絶版スポーツの中古車相場が急騰した。
「それまでの初代シビック タイプRとかは、イメージとしては『100万円あれば買える車』だったわけですが、いきなりそうではなくなってしまったんですよね……」
ならば、ということでトヨタ ランドクルーザー70や初期型プラドの中古車も検討したいと思った。
多感な青年期に“イニD”の洗礼を受けたことにより、絶版国産スポーツカー信仰の火が消えることはなかったが、年齢を重ねるにつれて「アウトドアが楽しめる車もいいな」と、20代前半頃からずっと思い続けていたからだ。
また、29歳のときはちょうど「そろそろ結婚するタイミングだったから」というのと、同時に仕事人としての転機を迎えていたタイミングでもあった。
「でもご存じのとおり、そっち方面の中古車相場もずいぶん上がっちゃいまして(笑)」
コロナ禍の影響からか、世の中は一大キャンプブームとなり、ランクル70や初期型プラドの中古車価格も、三浦さんが検討し始めた頃と比べて100万から150万円ほど上がってしまったという。
「高くてちょっと手が出しづらいというのもありましたが、それ以上に『ブームに踊らされて四駆を買った人間』みたいになるのが自分的に嫌で、ランクル70やプラドの中古車は検討対象から外したんです」
だがその当時、“ステーションワゴン”はまだ値上がりしてなかった。
「そうなんですよ。そこでデザインとしても好みな、そして“質実剛健”なイメージが、自分が求めるライフスタイルに合っているように思えたボルボ 240エステートの中古車を、知り合いの車屋さんに探してもらうことにしたのですが――」
車屋さんからは「……納車までに1年かかることも覚悟してほしい」と言われた。なぜならば「ボディカラーは絶対に黄色か青でお願いします」との条件を、三浦さんが伝えたからだ。
その当時、赤やアイボリー、あるいはネイビーの240エステートはそこそこ豊富に流通していたが、黄色または青はかなり希少だった。それゆえ販売店としても「すぐにはいいモノが見つからない可能性が高い」と判断したわけだ。
だが“それ”は、依頼から2日後にあっさり見つかってしまった。
「車屋さんから『モナコブルーのいいやつが出てきましたけど、どうします?』という電話を受けたとき、そしてその年式が1991年式であることを聞いた瞬間、『これは運命ってやつかもしれないな……』と思い、現車を見るまでもなく車屋さんにお伝えしました。『それでお願いします』と」
1991年。それは三浦ヒロフミさんが生まれた年だ。1年はかかるかもと言われていたものが2日で見つかり、そしてその車がたまたま自分と“同い年”だったというのは、何らかの導きなのか? あるいは単なる偶然か?
それはわからないし、明確な答えも出ない問題ではある。だが何らかのサムシングを感じた三浦さんは、結論として“それ”を購入した。
“それ”は運命だったのかも
そして3年がたった今。当時の瞬間の決断は「大正解だった」と思っている。
「いわゆる旧車ですけど、ぜんぜん壊れないのでストレスがないんですよ。『ちょっとそこまで』みたいな使い方でも『友人たちを乗せて山や川へ』みたいな使い方でも、それこそ現代の車とほとんど同じニュアンスで、ごく気楽に普段づかいができる。そして全長は長いんですけどホイールベースは短めなので、意外と小回りが利きます。そこも、この車が“普段づかい”に適している理由のひとつでしょうね」
スピードが出る車ではないが、逆にそこが自分や妻、あるいは友人たちとの「ゆったりとした休日」に合っているような気がして、むしろお気に入りのポイントになっている。
「細かい話ですけど、燃費も悪くないんですよね。街中でも7km/Lぐらいは走りますし、高速道路では10km/Lぐらいになります。レギュラーガソリンでOKということもあって、1990年代の車としては十分経済的なんじゃないかと思いますよ。まぁエアコンはたまに壊れたりもするんですが(笑)」
普段は友人が経営する横浜・石川町の超人気ハンバーガーショップ「CENTRAL BURGER SHOP」の店長として、超激務をこなしている。
だが、店の休日となれば1人で、あるいは奥さまと2人で、もしくはお店の従業員を連れて“山”へ行く。
特に何をするわけでもない。大のお気に入りであるモナコブルーの1991年式ボルボ 240エステートをゆっくりと存分に走らせてカントリーサイドへ行き、静かに流れる川の音を聞く。ただそれだけで「十分以上に楽しいし、生き返ったような気持ちになる」のだという。
実は三浦さん、この240エステートを一度、自損事故により壊している。
納車から1年もたってない頃、雨の日の首都高速ジャンクションで――法定速度ぐらいで走っていたにもかかわらず、FR車の運転にまだ完熟していなかったゆえか――ハーフスピンをしてしまい、前後左右のボディ外板をしたたかにぶつけてしまったのだ。
外板の修理には「中古の240エステートがもう1台買えるぐらいのお金がかかってしまいました(笑)」と言う。
だがそれでも結果として壊れたのは外板だけで、足回りやエンジンなどは奇跡的に完全ノーダメージで済んだのも――もしかしたら“運命”だったのかもしれない。まぁわからないし、オカルトと言われてしまえばそれまでだが。
だが“車”ではなく“愛車”には、時折りそういった不思議なサムシングが起こることを、ドライバーの多くは経験則として知っている。
もう1台買えるほどの修理代がかかるとわかっても、「この240を直さずに捨てることなど、みじんも考えませんでした」というような具合の愛車には、たまに“それ”が起こるのだ。
▼検索条件
ボルボ 240エステート(初代) × 全国三浦さんのマイカーレビュー
ボルボ 240エステート(初代)
●購入金額/160万円
●年間走行距離/約1万km
●マイカーの好きなところ/色が素敵なところ
●マイカーの愛すべきダメなところ/車両が重すぎる
●マイカーはどんな人にオススメしたい?/気取りすぎない人に乗ってほしい
自動車ライター
伊達軍曹
外資系消費財メーカー日本法人本社勤務を経て、出版業界に転身。輸入中古車専門誌複数の編集長を務めたのち、フリーランスの編集者/執筆者として2006年に独立。現在は「手頃なプライスの輸入中古車ネタ」を得意としながらも、ジャンルや車種を問わず、様々な自動車メディアに記事を寄稿している。愛車はスバル レヴォーグ STIスポーツ。