240エステート

【連載:どんなクルマと、どんな時間を。】
車の数だけ存在する「車を囲むオーナーのドラマ」を紹介するインタビュー連載。あなたは、どんなクルマと、どんな時間を?

“それ”との出会いは必然か、はたまた偶然か

特に高価なわけでもレアなわけでもないが、自分が心底「いいな」と思えた1990年代の何気ない古着を自然体に、でも“いい感じ”で着こなしている三浦ヒロフミさん。

そんな三浦さんが29歳のときに人生初の愛車として購入したのは、これまた自然体で“いい感じ”の、1990年代のボルボ 240エステートだった。

もともとは初代ホンダ シビック タイプRなどの国産絶版スポーツカーを買うつもりでいた。高校生の頃に読んだマンガ『頭文字D』でその魅力にハマり、高校3年生の頃から月1万円ぐらいの車貯金を、欠かすことなくひそかに続けていたのだ。だが、そんな秘密の車貯金がそこそこの額に達してきた頃、国産絶版スポーツの中古車相場が急騰した。

「それまでの初代シビック タイプRとかは、イメージとしては『100万円あれば買える車』だったわけですが、いきなりそうではなくなってしまったんですよね……」

240エステート

ならば、ということでトヨタ ランドクルーザー70や初期型プラドの中古車も検討したいと思った。

多感な青年期に“イニD”の洗礼を受けたことにより、絶版国産スポーツカー信仰の火が消えることはなかったが、年齢を重ねるにつれて「アウトドアが楽しめる車もいいな」と、20代前半頃からずっと思い続けていたからだ。

また、29歳のときはちょうど「そろそろ結婚するタイミングだったから」というのと、同時に仕事人としての転機を迎えていたタイミングでもあった。

「でもご存じのとおり、そっち方面の中古車相場もずいぶん上がっちゃいまして(笑)」

コロナ禍の影響からか、世の中は一大キャンプブームとなり、ランクル70や初期型プラドの中古車価格も、三浦さんが検討し始めた頃と比べて100万から150万円ほど上がってしまったという。

「高くてちょっと手が出しづらいというのもありましたが、それ以上に『ブームに踊らされて四駆を買った人間』みたいになるのが自分的に嫌で、ランクル70やプラドの中古車は検討対象から外したんです」

だがその当時、“ステーションワゴン”はまだ値上がりしてなかった。

240エステート

「そうなんですよ。そこでデザインとしても好みな、そして“質実剛健”なイメージが、自分が求めるライフスタイルに合っているように思えたボルボ 240エステートの中古車を、知り合いの車屋さんに探してもらうことにしたのですが――」

車屋さんからは「……納車までに1年かかることも覚悟してほしい」と言われた。なぜならば「ボディカラーは絶対に黄色か青でお願いします」との条件を、三浦さんが伝えたからだ。

その当時、赤やアイボリー、あるいはネイビーの240エステートはそこそこ豊富に流通していたが、黄色または青はかなり希少だった。それゆえ販売店としても「すぐにはいいモノが見つからない可能性が高い」と判断したわけだ。

だが“それ”は、依頼から2日後にあっさり見つかってしまった。

240エステート

「車屋さんから『モナコブルーのいいやつが出てきましたけど、どうします?』という電話を受けたとき、そしてその年式が1991年式であることを聞いた瞬間、『これは運命ってやつかもしれないな……』と思い、現車を見るまでもなく車屋さんにお伝えしました。『それでお願いします』と」

240エステート
240エステート

1991年。それは三浦ヒロフミさんが生まれた年だ。1年はかかるかもと言われていたものが2日で見つかり、そしてその車がたまたま自分と“同い年”だったというのは、何らかの導きなのか? あるいは単なる偶然か?

それはわからないし、明確な答えも出ない問題ではある。だが何らかのサムシングを感じた三浦さんは、結論として“それ”を購入した。

“それ”は運命だったのかも

そして3年がたった今。当時の瞬間の決断は「大正解だった」と思っている。

「いわゆる旧車ですけど、ぜんぜん壊れないのでストレスがないんですよ。『ちょっとそこまで』みたいな使い方でも『友人たちを乗せて山や川へ』みたいな使い方でも、それこそ現代の車とほとんど同じニュアンスで、ごく気楽に普段づかいができる。そして全長は長いんですけどホイールベースは短めなので、意外と小回りが利きます。そこも、この車が“普段づかい”に適している理由のひとつでしょうね」

240エステート

スピードが出る車ではないが、逆にそこが自分や妻、あるいは友人たちとの「ゆったりとした休日」に合っているような気がして、むしろお気に入りのポイントになっている。

「細かい話ですけど、燃費も悪くないんですよね。街中でも7km/Lぐらいは走りますし、高速道路では10km/Lぐらいになります。レギュラーガソリンでOKということもあって、1990年代の車としては十分経済的なんじゃないかと思いますよ。まぁエアコンはたまに壊れたりもするんですが(笑)」

240エステート▲ラゲージルームに設置された純正トノカバーの状態も上々だ

普段は友人が経営する横浜・石川町の超人気ハンバーガーショップ「CENTRAL BURGER SHOP」の店長として、超激務をこなしている。

だが、店の休日となれば1人で、あるいは奥さまと2人で、もしくはお店の従業員を連れて“山”へ行く。

240エステート▲横浜・石川町にあるCENTRAL BURGER SHOP。日本ではまだ珍しいスマッシュスタイルのハンバーガーを提供する超人気店だ
240エステート▲パティをスマッシュする際に使う大きな鉄板とプレス機も三浦さんの愛すべき相棒だ

特に何をするわけでもない。大のお気に入りであるモナコブルーの1991年式ボルボ 240エステートをゆっくりと存分に走らせてカントリーサイドへ行き、静かに流れる川の音を聞く。ただそれだけで「十分以上に楽しいし、生き返ったような気持ちになる」のだという。

240エステート

実は三浦さん、この240エステートを一度、自損事故により壊している。

納車から1年もたってない頃、雨の日の首都高速ジャンクションで――法定速度ぐらいで走っていたにもかかわらず、FR車の運転にまだ完熟していなかったゆえか――ハーフスピンをしてしまい、前後左右のボディ外板をしたたかにぶつけてしまったのだ。

外板の修理には「中古の240エステートがもう1台買えるぐらいのお金がかかってしまいました(笑)」と言う。

240エステート

だがそれでも結果として壊れたのは外板だけで、足回りやエンジンなどは奇跡的に完全ノーダメージで済んだのも――もしかしたら“運命”だったのかもしれない。まぁわからないし、オカルトと言われてしまえばそれまでだが。

だが“車”ではなく“愛車”には、時折りそういった不思議なサムシングが起こることを、ドライバーの多くは経験則として知っている。

もう1台買えるほどの修理代がかかるとわかっても、「この240を直さずに捨てることなど、みじんも考えませんでした」というような具合の愛車には、たまに“それ”が起こるのだ。

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ボルボ 240エステート(初代) × 全国
文/伊達軍曹、写真/阿部昌也
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三浦さんのマイカーレビュー

ボルボ 240エステート(初代)


●購入金額/160万円
●年間走行距離/約1万km
●マイカーの好きなところ/色が素敵なところ
●マイカーの愛すべきダメなところ/車両が重すぎる
●マイカーはどんな人にオススメしたい?/気取りすぎない人に乗ってほしい

伊達軍曹

自動車ライター

伊達軍曹

外資系消費財メーカー日本法人本社勤務を経て、出版業界に転身。輸入中古車専門誌複数の編集長を務めたのち、フリーランスの編集者/執筆者として2006年に独立。現在は「手頃なプライスの輸入中古車ネタ」を得意としながらも、ジャンルや車種を問わず、様々な自動車メディアに記事を寄稿している。愛車はスバル レヴォーグ STIスポーツ。