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いきなりの夜のドライブ

花咲くんと同じ高校の同級生だった兄をもつ深沢さんとは、恋の情報収集のために話すようになった。彼女からの情報提供なしに、私のこれまでの花咲くんへの営業活動は成り立たない。今では、私の片思いのセコンドのような存在となっている。

豆腐のような真っ白い肌にぽつんぽつんとあるほくろが特徴的な童顔で、非常に小柄でありながら、話し方が妙に老成していて不思議な雰囲気をまとっている。

趣味はフランスやイタリア映画、絵画鑑賞と芸術に傾倒しており、彼女と話していると心の奥底を見透かされているような気持ちになる。

その深沢さんにこんな持って回った言い方をされて、緊張しないわけがない。

深沢さんが言う“悪い話”は大方察しがつく。花咲くんに関することに違いない。

「え?なに?」

声は自然と震える。

深沢さんは占い師のように厳かに切り出した。

「先週末、うちの兄貴が偶然、花咲さんと会ったらしい。日比谷の映画館で。彼女と一緒だったと」

深沢さんは抑揚も息継ぎもなしに一息で告げた。一瞬何を言われているのかわからなかった。

KANOJO、かのじょ、カノジョ、彼女……。

彼女!?

「相手はこの人」

準備よく立ち上げられたインスタの画面を深沢さんがこちらに向ける。なるだけ私を苦しめないように、じわじわとではなく畳み掛けるように結論を述べる彼女の配慮はまるで効果がなかった。だって私は吐きそうなほどに動揺して胸が痛い。

『Kasumi Sawamura』と書かれたプロフィール欄には、大きな瞳の美しい女の人が風に髪をなびかせて笑っていた。反射的に画面から目をそらす。

「K大商学部の2年生でミスコン冠あり。女子アナ目指してるんだって。彼女、高校時代から有名だったみたいよ。才色兼備の高嶺の花で」

外国映画の日本語吹き替えみたいな喋り方をする深沢さんの一語一語がガラスの破片のように突き刺さった。心臓の音がバクバクとうるさくて、耳鳴りがする。指先は震えが止まらず、空気が薄い。

illustration/cro

深沢さんはそっと私の背中に手を当てた。普段クールな深沢さんがこんなことをするのは初めてだ。

「残酷かもしれないけど、知らないより知っておいた方がいいでしょ。私が反対の立場なら教えてほしい」

セコンド深沢さんが意地悪でこんなことを言ってるわけじゃないのはわかっている。傷が浅いうちに、という賢明な彼女の配慮だろう。

考えてみれば花咲くんほどの人に彼女がいない確率の方が低そうなものなのだ。それなのに、さっきまでの私はそんなことをまるで想像しないほどに子供だった。ただ純粋に、花咲くんに憧れ、ときめき、好きだった。初めて会ったあの日から……。

授業開始5分前のチャイムが鳴る。

M子の姿は消えていたが、私は花咲くんの方を見ることはできない。立っている場所が揺らいでいる。地面が抜け落ちそうだ。私は、自分の20㎝近く下にある深沢さんの肩に覆いかぶさるようにして教室に向かった。

***************

あと3分で22時。

暗闇の中に浮かび上がるオレンジ色のXVを真正面に見据えながら、私はかれこれ2時間近くこの駐車場に潜伏している。

授業中、インスタで『Kasumi Sawamura』のページの全投稿をチェックした。

深沢さんに突きつけられた時は直視できなかったくせに、心のどこかでは見たくてたまらなかったのだ。いざ開いたらタガが外れたように写真の中に花咲くんの影を必死で探し、自らを傷つけようとするマゾ体質には我ながらあきれる。

大きな瞳と太い眉毛は理知的で意志の強さを感じさせる。長く豊かで艶やかな髪を時にアップにしているカットは、同性ながら見惚れるような色香が漂っていた。読者モデルなどメディアにも積極的に露出しているようで、一女子大生ながらフォロワー数は5467と影響力をもち、何者でもない一介の女子高生の自分の存在がちっぽけでしょぼくれて感じられる。

1月18日
「箱根の温泉へ」
思い切り寄りの自撮りなので車の詳細はわからないが、恐らく助手席なのだろう。2人の関係は、今年に入ったあたりから発展したのではないだろうか。したくもない想像が膨らんでいく。

3月31日
「夜の桜が好き」
この投稿で、彼女は自らが車のハンドルを握っていた。そしてフロントガラス越しには、月明かりに照らされた夜桜と、あのドリームキャッチャーが揺れていた。

動かぬ証拠を目の当たりにし、彼女が彼の恋人であると知ったことよりも私をさらに傷つけたのは、花咲くんの車を自分のもののように運転できる彼らの強い結びつきだった。

ハンドルを握って、遠くどこまでも行くことのできる彼女。彼との間に寄る辺もない身で、どこに行くこともできず、ただここでじっとしているしかない私……。

私が“始まっていた”と思っていた日々は、花咲くんにとっては彼女と“紡いでいた”日々だったのだ。

「え? 柚月?」

この声を待っていたはずなのに、突然話しかけられると大げさにビクっとしてしまった。

ずっと膝を曲げていたので立ち上がるときに節がギシギシする。私はよろよろと揺らめいて立ち上がり、花咲くんに対峙した。こうして花咲くんと向き合っていると、案外彼は背が低いことに気づく。

こんなことで彼に幻滅できたらいいのにと、ぼんやり考える。

「どうした? こんな遅くまで」

花咲くんは心底驚いていたが、私はうつむくしかなかった。

ただならぬ事情があることは察しただろうが、彼はそれ以上追求しなかった。

そして、遅いから送って行くという彼の申し出により、くしくも私は恋い焦がれていた花咲くんの車の助手席に乗るという夢を見事果たした。

ドリームキャッチャーの最後のお情けか。でもこの夢は、シンデレラの馬車のように自宅に着くと同時にすべて消えてなくなってしまう。

もうすぐ失う恋のカウントダウンが始まっているというのに、暗い車内に浮かび上がる花咲くんは皮肉なほどかっこよかった。その高い鼻筋を盗み見ながら、このままずっと家に着かないでほしいと願ってしまう。

illustration/cro

でも、気を緩めると思考の隙間に『Kasumi Sawamura』が入り込んできて、細胞のすべてを悲しみ色に染色していく。

車内に流れる私の知らない洋楽も、彼女が選んで彼に勧めたものに違いないと悟り、自分が今何のためにここにいるのかを思い出すのだった。

あと3つ先の信号を左に曲がれば我が家が見えてくる。

遅い帰りを心配した母親からの未読メッセージと着信は57件に到達した。家の前で待ち構えているに違いない。

少し手前で降りなければ。タイムリミットは迫っていた。知りたくないけど、だからといってこのまま何も聞かずに帰ることなどできない。

上下にひっついた喉の粘膜を引き剥がすようにして声を絞り出しす。

「花咲くん、彼女いるんですか?」

最後の方は声がかすれていた。

ハンドルを握る花咲くんは、目線をまっすぐ前に向けたままだ。日に焼けた黒い喉が上下に動く。音が聞こえてしまうのではないかと思うほど激しい拍動。心臓から強く押し出された血液が体中を駆け巡り、頭痛すらする。

赤だった信号が青に変わったのに、花咲くんは動かない。後方の車がクラクションを鳴らした。

その瞬間、花咲くんははじかれたように私の目をまっすぐに見た。

「うん」

そう言って彼は、アクセルを踏み込む。

花咲くんがどんな表情をしているのか見えない。手の甲にぽたんと水滴が落ちて気づく。暗いせいではなく、涙で目が曇っていたのだと。

家の手前で降ろしてほしいと言ったのに、花咲くんは断固として譲らず、結局家の前にXVは横付けされることとなった。

案の定、ポーチで待ち構えていた母親が、目の前に見慣れぬオレンジ色の車が止まったことに戸惑っている。私は泣いていたとバレないよう必死で心を無にする。もう、今日はなんて忙しい日だ!

花咲くんは運転席から降りると母親に向かって、

「花咲と申します。大岡ゼミでチューターをしています。柚月さんの質問の対応が遅くなってしまったのでお送りしました。遅くまで申し訳ありません」

と、淀みなく紳士的に詫びた。

それは、私の知っている同世代の幼稚な男子たちとはあまりに違いすぎて、惚れ惚れするしかなかった。この期に及んでも嫌いにならせてくれない彼は意地悪だ……。

そして、さっきあんなことがあって私の気持ちに気づいていても、あくまで冷静に、そして完璧に振る舞う彼が恨めしくすらあった。

花咲くんは、私の質問に答えたきり、それ以上何も言わなかった。

彼は、私の質問が何を意味するかがわからないほど鈍感な人ではないだろう。もしかするとこんなシーンは、女の子に人気のある彼の人生では今までも何度もあったことなのかもしれない。

でも彼は、「ごめん」と謝るでも、彼女の話をするでも、別の話題を振ることもしなかった。その無言こそが答えなのだろう。かくして私の小さな恋は破れた。

母親は、想像とは違う展開にあっけに取られている様子だったが、私の母親だ。花咲くんに好印象を抱かないわけがない。

連絡なく帰宅が遅くなった娘への怒りもそこそこに、彼の紳士的な態度にぽーっとなっていたのを私は見逃さなかった。似た者親子。

花咲くんは最後に私の目をまっすぐに見て、

「おやすみ」

と言った。

その途端、抑えていた感情が胸に溢れ出してきた。こんなふうに、1日の最後に花咲くんにおやすみを言ったり、言われたりできたらどんなに素敵だっただろうと。

去っていくオレンジ色の車が角を曲がるまで、母親と並んで見送った。彼の車が塀の向こうに消えた後、母親が静かに「素敵な人ね」と言った。

来年、18歳になったら免許を取ろう。

そして、これからの人生でまたこんな日が訪れたときは、遠くまで1人で車を走らせようと私は思った。

illustration/cro

( fin. )

text/武田尚子
illustration/cro(@cro_______cro)