日産 プレジデント ▲今回、紹介するのは1973年に登場した2代目日産 プレジデント。写真は1975年式プレジデントD4タイプ

日産の最高級セダン「プレジデント」

プレジデントは日産がかつてラインナップしていた、最上級モデルのセダンだった。

初代は1965年にデビューし、4代目まで生産され、2010年に販売終了するまで44年間も生産されたロングセラーな車である。

「大統領」や「社長」を意味するプレジデントを車名にしているだけあって、日本の政治経済を動かすVIPの利用を想定していた。ドライバーズカーとしてではなく、送迎車としての利用が前提の車である。
 

2代目は1973年に誕生

今回、注目したのは1973年に誕生した2代目だ。

この2代目は長寿モデルで、マイナーチェンジや一部改良を繰り返しながらなんと1990年まで17年間生産されていた。

「2代目」とは呼ばれているものの、前後サスペンション、ホイールベース、サイドシル部、前後ドアパネル、前後ドアサッシ、ルーフ、ガラス全般、インストルメントパネルなどは初代から引き継いでいた。

ボディサイズを見ると、全長のみ初代と異なり5280mm(初代は5040mm)となったが全幅1795mm、全高1460mm、ホイールベース2850mmは同じ。

初代との違いは前後のデザイン、そしてトランクルームの拡大にすぎなかったが、新型車として運輸省(当時)へ届け出されているため法律的には「フルモデルチェンジ」となる。

カタログの表紙に記されたキャッチコピーは、今聞くとキザなセリフに驚く。初代は「この車が、日本を代表いたします」で、2代目は「JAPAN’S SYMBOL OF LEADERSHIP」だった……。

エンジンは初代から引き継いだ3L直6と4.4L V8エンジン(初代の4L V8の排気量を拡大)をラインナップ。トランスミッションは3速ATで後輪駆動のみの設定だった。

デビューから2年後の1975年、昭和50年排出ガス規制への適合を主目的としたマイナーチェジが施された。このタイミングで直6エンジンは廃止され、キャブレター仕様だったV8エンジンが電子燃料噴射化された。

サスペンションはフロントにダブルウィッシュボーン式、リアはリーフ式だった。なお、1982年のマイナーチェンジでリアサスペンションはパナールロッド付き4リンク+コイルスプリングへと変更された。

一般的な5名乗車と6名乗車(フロントにベンチシート)の仕様が用意されていたが、最近のような4名乗車(リア2名)はまだ存在しなかった。

日産 プレジデント ▲タイプD(1973年式)
日産 プレジデント ▲タイプDの内装(1973年式)
日産 プレジデント ▲D4タイプのインパネ(1975年式)
日産 プレジデント ▲タイプC(1982年式)
日産 プレジデント ▲プレジデントのY44Eエンジン(1982年式)
日産 プレジデント ▲ソブリンVIP(1985年式)
日産 プレジデント ▲ソブリンVIPのインパネ(1985年式)

かつての名車が時を経て6台掲載中

絶版となってから30年が経過しているものの、カーセンサーnetには6台掲載されている(2020年4月20日原稿執筆時点)。

中古車価格は45万~150万円で、かつての最高級モデルでありながら身近な存在になっている。なお走行距離、年式、仕様による中古車相場の“方程式”のようなものは存在しない模様だ。

ボディのサイドにパッキリと入ったプレスライン、メッキパーツを多用したギラギラ感、全長5280mmという巨漢ぶりはどれをとっても個性的。そして、今見ても威厳と風格が漂っている。

1973年デビュー時から、マイナーチェンジや一部改良を繰り返してはいるものの、基本的なデザインは変わっていない。だからこそクラシカルな雰囲気もあり、今こそ差別化を図るのにはうってつけだと思う。

ちょっとでも気になった方は、中古車物件をチェックしてみてほしい。

日産 プレジデント 1973年、第20回東京モーターショーにて展示される2代目プレジデント
文/古賀貴司(自動車王国)、写真/日産

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古賀貴司(こがたかし)

自動車ライター

古賀貴司(自動車王国)

自動車ニュースサイト「自動車王国」を主宰するも、ほとんど更新せずツイッターにいそしんでいる。大学卒業後、都銀に就職するが、車好きが講じて編集プロダクションへ転職。カーセンサー編集部員として約10年を過ごし、現在はフリーランスのライター/翻訳家として活動している。